ほぼ生粋の東京圏民が、札幌へ単身で移住した
2021年12月末に、埼玉県から北海道の札幌市へ移住した。
生まれと育ちは神奈川県で、大学入学を機に東京へ。卒業後は東京の会社へ入社して、その後何度かの転職を経つつも、東京、神奈川、埼玉を行ったり来たりしながら住んでいた。
正確に言うと、約1年間だけ仕事の都合で名古屋に住んだこともある。でもそれは本当に短い期間だったから、自分の心境的には「ずっと東京圏で住んできた」という感覚に等しい。
そんな、(ほぼ)生粋の東京圏民である僕だけど、2021年12月末に、縁もゆかりもない、誰一人として知り合いもいない北海道の札幌市へと単身で移住した。
我ながら、なかなか思い切った意思決定だったと思う。移住前の自分に戻ったとして、もう一度同じ意思決定をできるかというと、正直言って自信はない。不安やリスクに怖気づいてしまうかもしれない。
それでも、当時の僕は移住するという意思決定をできた。そのおかげで今僕は、この文章を札幌市中心部のマクドナルドにて100円コーヒーを飲みながら書いている。快適だ。今日は3連休の中日であるというのに、店内は空いている。4人掛けテーブルを1人で占拠して伸び伸びと過ごせてしまう。東京都心のマクドナルドならどこもきっと混んでいるだろう。なんて住みやすい街なのだろうか。
札幌へ移住すると決めてくれた過去の自分は、とても素晴らしい人間なのだなと思える。不安に負けない強い心を持った「漢」だな。純粋にかっこいい。もしも僕が女性だったら好きになってしまうかもしれない。
というくだらない前置きはやめて、そんな漢であった当時の僕が、一体何を考えて札幌への移住を決めたのかを書いていこうかと思う。全国1000万人の札幌移住検討者の参考になれば嬉しい。
札幌へ移住した理由
個別具体的な理由は置いとく
札幌へ移住した理由を細かく挙げていくこともできる。たとえば、
- 真夏が(東京に比べたら)涼しい
- 家賃が安いのに便利
- 街が整っていて綺麗
- 自然が近い
- メシが美味い
- ヨドバシカメラがある
- アニメイトとまんだらけがある
などなど。
でも、こういう話って、札幌移住を考えている人にとっては自明のことだと思う。こういう魅力があるなんて、もう十分に知っているでしょう? まんだらけと同じビルの中に駿河屋があることや、アニメイトと同じビルの中にゲーマーズとメロンブックスとらしんばんがあることも、札幌移住検討者なら絶対に全員知っているから、今さら僕が書く必要がない。
であるならば、札幌へ移住する意思決定をして、実際に移住達成した僕は何を書くべきか。
その点を考えた結論として、個別具体的な話よりも、もっと根底にある「考え方」を書きたいと思った。ということで、考え方を書いていきます。
残酷なほどに人生の時間は限られているから
そもそもの話として、一度でいいから札幌に住んでみたいという気持ちを僕は持っていた。これが大前提であり、移住した理由の9割でもある。
なぜ一度でいいから札幌に住んでみたいと思っていたかというと、その理由こそ上述したような「涼しい」とか「家賃が安いのに便利」とか「まんだらけがある」とか「なんかいいよね、札幌って。綺麗なイメージある」とかそういう理由だ。
で、これは僕の思考回路の根底にある発想であり、この文章で書きたいことの核にあたる部分なのだけど、「残酷なほどに人生の時間は限られている」というのがある。
何かの本で読んだのだけど、仮に80歳まで生きるとしたら、人生は4000週間しかないらしい。それはそうだ。1年は約50週間だから、50週間×80年=4000週間。小学生でも出来る算数の世界。なのに「人生は4000週間です」と言われると、「え、そんな短いの?!」と謎に驚いてしまう。「いや、小学生の算数だから」って自分にツッコミたくなる。
多分、「1週間の速さ」と「4000という数字は意外と小さい」という体感がそう思わせるのだろう。「人生は80年です」と言われると、1年はそれなりに長い体感があるから「1年が80回もか。人生って長いなあ」なんて思ってしまうのに。時間というのは客観的な指標であると同時に主観的な体感でもある。
しかも、4000週間というのは80歳まで生きた場合の話だ。誰もが実は知っているけど目を逸らしている事実として、人間はいつ死ぬかわからない。僕は今マクドナルドでノートPCを使ってこの文章を書いているけど、PCのバッテリーが突然爆発して死ぬかもしれない。あるいはマクドナルドからの帰路で車にひかれるかもしれない。あるいは通り魔に襲われるかもしれない。
そんな確率の低いことは滅多に起きないとしても、なにかしらの急病で1年後にはもうこの世にいない可能性は十分に現実的な話としてありえる。現在37歳。何があっても不思議はない。世の中を見渡せば、同年代で死を迎えた人が多くいる。
そういう気の滅入る事実に目を逸らしながら「一度でいいから、いつか札幌に住んでみたいなあ」と能天気に妄想している間に人生が終わると悔いが残るので、人生が終わる前に移住した。
残酷なほどの人生の有限さを僕が痛感したのは、母親との死別がきっかけだ。僕が生まれてから常に無条件で愛情を注いでくれて、気にしてくれる存在がこの世からいなくなってしまった。死別から1年以上が経過した今でも、どうしようもない寂しさに襲われる瞬間が夜に時おり訪れる。どうやら僕はもう、二度と母親と会うことはできないらしい。その事実がただ寂しい。
お涙頂戴をしたいわけではないので死別の話はこの辺で終わるとして、とにかく気持ちとして「マジで時間って短いんだな。マジで過ぎていくんだな」と強烈に実感し、だからこそ、札幌への移住を後回しにするのをやめた。
今を逃したら一生移住できないと思ったから
上で書いた「時間は有限」と共通する部分が多いけど、今を逃したら一生移住できないと思ったのも理由の1つだ。
なぜそう思ったかというと、理由は以下の2つ。
- 神奈川の実家に1人で住む父親がどんどん老いていく
- 自分も歳を取るほど気力や新しい環境への適応力が落ちる
1つめの実家の件は、やはり気になる。母親が亡くなったからこそ尚更だ。父親は現在70歳。今はまだ元気だけど、今後どうなるかは全く分からない。
70歳以降の健康度合いって、本当に人によって大きく異なると思う。90歳を過ぎても1人で何でもできる元気なおじいちゃんもいれば、急速に弱っていき70中盤頃にはもう1人では生活できなくなるおじいちゃんもいる。
父親はどうなるのか、全くわからない。わかるわけがない。たとえどれだけ健康に配慮した生活をしていたとしても、所詮は確率の問題だ。だからこそ、まだ父親が元気なうちに移住したほうがいいと考えた。
今を逃すと、遠方へ移住できる状況ではなくなるかもしれない。だから今のうちに移住して、3年か4年か5年ほど住んだら、飛行機を使わず素早く帰省できる本州のいずれかへまた移ろうかとは思っている。状況次第だ。
実家の心配が仮になかったとしても、自分自身の老いもある。37歳という年齢はかなり微妙なところだと思う。大きな老化はまだ感じていない(細かな老化は色々感じる)。でも客観的に考えるに、これからが本格的な老化の段階なのだろうなとは覚悟している。
だからやっぱり、実家の心配がなかったとしても、早く移住したほうがいいという点に変わりはない。
札幌移住に対する不安はどう考えていたのか
以上のような考え方により、縁もゆかりもないし知り合いも誰一人いないけど、一度は住んでみたいと思っていた札幌への単身移住を決めた。
とはいえ、現実的な話としてやはり不安はあった。たとえば、
- 寒さや雪に耐えられるのか
- 孤独が辛くならないか
- 仕事はあるのか
- 実家と遠くなって本当に大丈夫か
など。
はっきり言って、これら不安は無視することにした。開き直って、気にしないことにした。
なぜなら、気にしても結論は出ないからだ。それに気にしすぎると、「雪が大変そうだから、やっぱりやめとこう」みたいな安全方向の判断になりそうだった。別に安全方向の判断でも、それが自分の判断であるなら受け入れるのだけど、一度しかない短い人生でその判断は、純粋に面白くないなあとも思う。
寒さや雪や孤独に耐えられなかったら本州に戻ればいい。そんなのは実体験してみない限り結論が出ない。実体験せずに移住を取りやめたら、時が経って移住できない状況になってから絶対に後悔する。
実家から遠いのが大変な状況になっても本州へ戻ればいい。仕事は単身だから多分どうとでもなる。
不安に対する対応としては参考にならないかもしれない。もっと現実的なリスクヘッジを知りたい人もいるかもしれない。でも僕自身は「不安要素が的中するか、移住してから確かめる」というスタンスで、時間優先でさっさと移住した。
おわりに
以上、僕が札幌へ移住した理由を書いてきた。
こういう理由をもって移住してから、現時点で9か月が経過している。札幌の真冬を経験したし、真夏も経験した。実家からの遠さも実感した。仕事状況も実際に確かめた。
そういう話をひっくるめた「移住してからの実体験」はまた別で書いていくとして、総論としては現時点では大満足している。利便性の面で便利になった部分がある一方で、不便になった部分もある。でもそういう利便性の話より前に、住んでみたかった札幌に実際に住めているという満足感が大きくて、その満足感が日々の充足感に厚みを増してくれている。
他人に対して無責任なことは言いたくない。でもこれだけは言わせてほしい。「移住したいと思っているなら、移住できるうちに移住してみればいいんじゃないですか? 人生短いですよ」と。責任は取りません。以上です。