普通にちゃんと生きるのを積極的に諦めた
僕は基本的に世間不適合な人間なので、今まで色々なことを積極的に諦めてきた。
そんな僕が今まで諦めてきたことの中でも最大のものが、「普通にちゃんと生きること」だ。
「普通にちゃんと」と言うのは、
- 会社員として働く
- 大人として世の中、周囲に合わせながら協調する
- 恋愛したり結婚したりもする
みたいなイメージ。
「普通に生きる」と聞いたときに、現代日本人の多くが思い浮かべるであろうイメージのことを差している。
そして僕は、そういう生き方を諦めた。
別に、「普通にちゃんと生きる」のが正しい姿ではない。人はみんな違うので、自分に合った生き方をすればいいだけだ。生き方にレールはない。そう頭では理解している。
とはいえ、昔の自分の中では、「普通にちゃんと生きるべき」みたいな価値観が無意識レベルであった。僕は平凡な小市民なので、今の世の中を生きていく中で刷り込まれたのだと思う。
そして、そういう生き方を実際にしていた。
会社でしっかり働いたり、周囲と協調したり、お付き合いをしたり。
ただ、そういう「普通にちゃんとした生き方」は、本来の自分の性格や価値観とは合っておらず、生きていくのがしんどかった。
内向型な自分
僕は自分のことを、そこそこ変わり者な自覚がある。
僕の変わり者な面を一言で表現すると、「内向性がかなり高い」。いわゆる内向的な人。内向型とも呼ぶ。
内向型な人間の特徴を簡単に書いていく。
【内向型な人間の特徴】
- 一人でいるとエネルギーが充填される。
- 人といると(特に大勢)エネルギーが消費される。
- 自分の外部ではなく内面に関心が向きやすい。
- 思考速度が遅い一方で、1つのことを深く考えられる(わかりやすい例だと、即応の求められる電話は苦手だが、準備のできるメールは得意、みないな)。
内向的と聞いたときに世間のイメージによくあるような「暗い」「いつも一人でいる」「ノリが悪い」「感情があまり表に出なくて何考えてるのか分からない」も、間違ってはいない。ただそれらのイメージは、上述した特徴を理由とした結果と言える。
デフォルトで意識が自分の内面に向かっており、外部から刺激が入り込んでくると1つ1つ丁寧に処理をしながら咀嚼して自分の中に取り込んでる感じ。
そんなことをやってるものだから、刺激が多い環境(大勢いる場所、うるさい場所など)が苦手で、逆に刺激が少ないと落ち着ける。
内向型に関して詳細を語り出すと長くなるので割愛するとして、とにかく僕は内向型な人間であると自認している。
※内向型に関して学びたい人は以下本がオススメ。
以下、内向型な自分の特徴を、具体的なエピソードも交えながら書いていく。
とにかく一人の時間が好き
まず第一に、とにかく一人の時間が好き。世の中に一人が好きな人はたくさんいるけど、僕の一人好きな度合いはけっこうなものだと思う。
10段階で8ぐらい。ずっと一人で引きこもって誰とも接しないのは孤独で辛くなってくるものの、ブログやYouTubeで発信さえしていれば、リアルでは誰とも合わなくても辛くならない。
レベル10(山奥に隠居して他人と一切の接触が一生なくても平気な人)ではないものの、「私、けっこう一人の時間って好きなんだよね」とカジュアルに言うぐらいの人とは一線を画している。
人と一緒に過ごすのはそれはそれで楽しいけど、3ヶ月に1回で十分。
20代の頃は合コン的な場に何度か参加したこともある。そういう場の僕は、最初のほうは頑張って元気を出して喋るものの、場に付いていくのに必要なエネルギーが徐々に枯渇していき、終盤になるとグッタリしている。で、「喋らなくなってるw」みたいにイジられる。
会社員の頃は、昼休憩に関しては一人だけ時間をずらして一人で食べていた。昼まで同僚と過ごすのはきつい。同僚が嫌いという意味ではなく、一人の時間を作ってエネルギーを充填する必要がある。
自分の考えを抑えて周囲に合わせるのが苦痛すぎる
第二に、周囲に合わせられない。周囲よりも自分の考えを優先したくてたまらない。
俗に言う「空気を読まない奴」。
世の中の主流派である外向型な人々が自分の外に関心を向けている間に、僕は黙々と自分の内面に関心を向けてアレコレと内省を深めている。すると必然的に「自分はこうしたい」という意思が醸成されていく。外部とは関係のない意思。
その結果、いわゆる「空気の読めない奴」になる。
いや、正確に言うと空気ぐらい読める。読めてる上で、空気よりも、内省から生まれた自分の意思のほうが100億倍は大切だから、そちらを優先したくてたまらなくなる。
会社で働いていた頃は、自分の考えとは異なる、慣習・謎ルール・空気から生まれた指示に心を殺しながら従っていた結果、適応障害を患って休職した経験もある。それほどに、僕にとっては自分の考えを抑えて周囲に合わせることがストレスになる。
のんびりしていたい
第三に、刺激が多いと疲れるから、のんびりしていたい気持ちが強い。自分のペースでのんびりと、一人で黙々とできる何事かをしていたい。
こうしてブログを書いたり、一人でYouTube動画を作ったり、読書したり、ゲームしたり、公園を散歩したり。そういうことをしていたい。
忙しくすると刺激が増えて疲れてしまう。会社で週5で働くのは本当にきつかった。朝から晩まで組織に属して大勢の人と関わりながら働くなんて、1日で疲れきってしまう。それを5日連続なんて無理だ。
あと、会社ってだいたいマルチタスクが求められる。複数のプロジェクトを平行して進めたり、作業中に話しかけられたり、別件のメール対応を求められたり、電話が掛かってきたり。そういうのもきつかった。1つ1つを丁寧に処理していきたい。
諦めて、自分の好きにすることで、心が楽になった
どうにか騙し騙しやってきたものの、36歳になった昨年、人生に開き直り、普通に生きるのを諦めた。
(その経緯は以下記事に書いてます)
開き直って会社を辞めて、単身で誰一人知り合いのいない札幌へ移住して、一人でひっそりと暮らしている。
発信活動を除けば、移住後はスーパーやセイコーマートの店員ぐらいしか日常的に人との関わりはない。半年に1度のペースで家族やごく少数の友人とは会っている。人付き合いはそのぐらいでちょうど良い。
目の前に2つの道があるとする。
- 普通にちゃんと生きる
- 諦めて、内向型の自分に向いてる生き方をする
1を諦めて2の道を進んでから、僕は心を楽にすることができた。
そして、2の道を実際に自分の体を以て歩くことで色々と体験し、自分という人間に対する理解も深まっている。
- 発信さえしてれば孤独は大丈夫
- 発信を一切しないと、ジワジワと孤独が辛くなってくる
- 一人の時間で色々考えて、それを話したり書いたりするのが好きな自分を改めて確認
- vlogみたいな動画を作るのが好きな自分を発見。元々はYouTubeではトークしかしないつもりだったのに、vlog的な動画も作るようになった。
- 世間体が気にならなくなった。最初の頃は「まもとに働いていない自分」に少し負い目があったけど、今はもう、のんびり好きなことをしてればそれで十分。それが仕事と呼べるものかどうかはどうでもいい。
これらの発見があり、自己理解が促進された。
促進された自己理解を踏まえて、適宜チューニングしながら生きてこうと思う。おわり。