世間体とか見栄とか他人からの評価とか、そういうの諦めたら毎日がそこそこ楽しい

2022年12月1日。札幌はすっかり雪だ。

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11月中旬頃からたまに細かな雪が降ったりはしつつも、地面にこうやって見える形で積もったのは昨日からだ。

まだまだこれからが冬本番で雪の量も増えていく段階ではあるけど、埼玉から移住して1年弱程度の自分としては、「また札幌の冬が来てしまった……」と恐れている面があることは否定できない。

雪も寒さも、「辛いですか?」と聞かれたら、「はい、辛いです」と即答する。暖かくて雪もない環境のほうが生活するには絶対に楽だ。

でも、「楽かどうか」という利便性の観点だけでは測れないんだ。人生の面白さというものは。それが人生の奥深さであり醍醐味でもある。

シンプルに言って、環境変化が楽しい。春夏秋冬の変化という意味でもそうだし、自分の人生の変化という意味でも。

楽ではない。しかし楽しい。

「自分の人生の舵を自分で切り、生き方を変えた」という事実を、この雪はすごくわかりやすい形で僕に実感させてくれる。「今、本当に札幌に住んでるんだなあ」と。

しかも、「雪を眺めに行きたい」という目的だけのために、平日の昼間に公園をブラブラしていた。これぞ僕が実現しようとしていたライフスタイル。

 

東京周辺で会社員をしながら疲弊してメンタルを病み酒に溺れていた人生から、今の人生に変えるのに、特別なことは何もしていない。特殊な才能があるわけでもないし、太い実家があるわけでもない。

ただ世間体や見栄を捨てて、常識とか他人からの評価も無視して、自分の気持ちに従いながら人生の舵を切り直しただけだ。「なんでそんな(人と違うこと)するの?」という声は全部無視した。

その結果、平日昼間に雪の美しさを味わえるようになった。

 

色々な生き方が人生にはある。

人は皆それぞれ違うから、どんな生き方が合っているのかも人それぞれ。だから皆、好きにしたらいい。すごくシンプル。

でも現実を見ると、資本主義社会でちゃんと仕事して世の中に価値を提供して金を稼ぎ、人付き合いもちゃんとして、人に迷惑を掛けないようにして、世間のマナーを守る。そんな所謂「まっとうな生き方」に、世の中の多くの人が囚われすぎていると思える。

人それぞれな他人の生き方に口出しする気は全然ない。ないものの、もう少し、自由に気楽に好きに自己本位に生きてる人たちが多くてもいいとは思う。

僕はそうした。別に仕事で成果なんか出さなくてもいいし、何者かにならなくてもいいから、世間を無視しながら、いつ終わるかわからない一度きりの人生を自分本位に生きる。そんな感じの生き方に舵を切った。

別にそういう自分本位な生き方を特別に肯定したいわけではないし、所謂まっとうな生き方を否定したいわけでもない。人それぞれでしかない。ただ、もう少し多様性があったほうが皆生きやすくなるのに、というだけ。

みんなが仕事を頑張らないといけないわけでもない。「私は金のためにこの会社で仕事してるだけなので、この会社がどうなろうと給料さえ出ればどうでもいいです。残業とかありえないです」みたいな多くのサラリーマンの本音をいちいち「この会社が好きです。頑張ります」みたいな建て前で隠さなくてもいい、ゆるくて寛容な社会で僕は生きたい。

その結果、コンビニが夕方に閉店したり、そもそもコンビニが無くなったり、バスや電車の本数が半分になったり、全く時刻表が守られなくなったりしても僕は別に構わない。利便性が全てではない。利便性は落ちるけど、そのぐらいゆるいほうが人間らしくてサービスを受ける側としても気楽だ。

コンビニのトイレでうんこするだけで何も買わずに出ていく僕みたいな人間にまで、「ありがとうございました」なんて言わなくていいのに。言われる側も微妙な気持ちになる。僕のことなんか、うんこ製造機として雑に扱ってくれればいい。

 

「もっと自分本位に生きたいけど、なかなか思い切れない」というタイプの人を多く見ている。そのたびに思う。「スパッと諦めるか、諦めず頑張るか、どっちかハッキリすればいいのに」と。中途半端が一番よくない。

思い切りが足りないのではない。ただ「世間体を維持したり、何者かになりたい欲求を諦める」という結論に達していないだけ。

世間体が支配する現代日本の空気に則って世間体を維持するのも、心の安寧を維持する生き方の選択肢としてありだ。その選択をしたのなら、世間体の外にはみ出す生き方のことはスッパリ諦めたほうがいい。

資本主義社会で実績を出して評価され、何者かになり金持ちになりチヤホヤされる状況を目指すのも立派な志だ。僕も何者かになりチヤホヤされたいし金持ちになりたい。でもそのために忙しくなって平日昼間に雪を堪能できなくなったり、やりたくないことを我慢してやるのは嫌だから、スッパリと諦めた。

自分という人間はどういう人間なのか自己理解する。そしてその自己理解を踏まえて色々なものを諦める。諦めることでようやく、自分ならではの生き方ができる。何もかもは満たせない。自分らしく生きるためには、それ以外の生き方は諦めるしかない。

 

僕の場合は、社会に対する興味が低かった。37年間生きてきて、自分の感性、性格、価値観、そういったものが社会のマジョリティとことごとく合わないと悟ったからだ。自分と合わない社会から評価されるために何かを頑張る気にならない。

それに僕は、自分の外部の世界より内部の世界に関心がある内向的な人間でもある。他人の考えより自分の考えを100倍大事にしている。

そういう理由があるからこそ、世間体、見栄、他人からの評価みたいな「外部からの評価」を諦めやすい人間ではあった。これもある意味では才能かもしれない。

 

僕の最近の生活は、週20時間前後ほど在宅で時間が自由なバイトをしつつ、ワールドカップを見まくり、読書をしまくっている。生活費を月9万円以下まで落としたし、このブログからのお小遣いも入ってくるので、それで生活が成り立つ。

あと、英語の勉強も最近は始めた。英語を勉強して「英語スキルで稼ごう」というわけではない。単純に、英語という言語への興味が湧いたからだ。

僕は大学受験において英語が最も得意だった。センター試験では200点満点中190点を叩き出した。喋れないし聞き取れないし、単語知識もそこそこだけど、文法がとにかく得意だった。言語という奥深い存在を、ルールに分解していくのが楽しかった。

大学受験が終わって以来20年近く英語を勉強してこなかったので、せっかく学んだ文法はほぼ忘れてしまった。でもサッカーのワールドカップで世界中の人たちが大騒ぎしているのを眺めていたら、ふと「英語」という存在に対して自分の中で再びスポットライトが当たった。

そして、英文法が好きだった自分を思い出して、もう一度学び直したくなった。せっかくなら文法だけではなくて全体的にちゃんと学び直し、言語として扱えるようにしたい。そうしたら人生の選択肢を増やせる。

 

最近はそんな感じで生きている。

世間体としては「アラフォーのフリーター」。底辺だ。でも普通に毎日がそこそこ楽しい。飛び上がるほどの感動はないけれど、苦しくはない。

僕はそれでいい。刺激的に生きたい人間ではないと自己理解している。苦しみながらも大きな幸せを掴みに行くよりも、雪を楽しんだり、読書したり、勉強を楽しむ。そして飯を食ってぐっすり眠る。そうやってなるべく平穏に日々の些細な楽しさを享受しながら、いずれ訪れる人生の終わりを迎えたい。おわり。