Twitterを再開して思うこと。インスタントな世界は逆に疲れそう。

最近Twitterを再開した。

相変わらず、すごくインスタントな世界だなという感想。

自分、他人、出来事、情報に対して脊髄反射で1つの分りやすい札を付けていく感じ。「私はこういう人」「この人はすごい」「この人はバカ」「このニュースはわかる」などなど。

他人や情報はともかく自分までわかりやすい記号化しちゃったら、逆に自分のことを見失いそうな気がする。記号化した以外の部分にも自分は存在しているのだろうから。

 

人や物事をわかりやすく記号化した上で脊髄反射で反応することに慣れると、楽できそうで逆に疲れそう。複雑で多面的な現実をそのまま受け入れたほうが気楽なんじゃないかとワシは思ってる。

なんでかっていうと、複雑さを削ぎ落して物事も自分も他人も単純化しちゃったら、「敵と味方」「正しいか間違えてるか」「好きか嫌いか」みたいな対立だらけになってイライラ、カリカリしそうだから。

僕も最近だと「再就職しようとしてたなんて残念。リタイア仲間だと思ってたのに」「ミニマリストじゃないんですか。ゲーム機だらけですけど」などというご意見を頂戴したりもして、その度に「人間というものは多面的で複雑なんですよ。SNSのやりすぎで忘れちゃいましたか」と心の中で返信しておいた。

ワシは別にあなたの仲間でもなければ敵でもなくて、単なる他人です。

 

自分も他人も物事も色々な面があるのが現実であることを思い出せば、寛大になれるというか、スルーできるというか、「人は人、自分は自分。どうせ他人のことなんかわからないし、自分が今好きなことに集中しよう」みたいに思えるんじゃないでしょうか。