生きてると、色々考えちゃうんだよね。僕は何事もいちいち考えすぎるタイプの人間だから。
考えてそうで考えてなさそうで、やっぱり考えてるっていう複雑な精神構造をしている。そうやって自分の精神構造を客観的に眺めて分析していることからも、考えすぎる自分の脳の特性を見て取れる。
単なる体感だけど、世の中標準と比較して3倍ぐらい考えてると思う。色々なことを。
「考えてて頭がいい」ではなく、逆に「大半の人ならいちいち考える必要がないことを、頭が悪いから3日掛けて考えてる」感覚。
考えた結果、何か深くて新しい結論に到達するわけでもなく、4週ぐらい回って最初から知ってた結論になることが大半なので。
人生って一度しかないから、どうしても慎重になっちゃうんだよな。もし何かに挑戦して失敗して取返しのつかないことになったらどうしよう、みたいなことをどうしたって考える。
で、考えて考えて考えた結果、「もう考えすぎるのはやめよう」という結論になった。2年前ぐらいに。
考えることを完全放棄するわけではない。文字通り何も考えなくなったら、それはただのバカだから。
そうではなくて、何かを判断するときに「メリット、デメリットは?」「これをやったら世の中にどう思われるだろうか?」「これをやる目的は?」「有限な時間というリソースを割く価値があるのか?もっと他にやるべきことがあるのではないか?」みたいなことをゴチャゴチャと考えるのをやめよう。という考え。
合理的思考の世界から解脱して、感情の世界で生きよう、という考え。
2年前にそういう考えに辿り着き、以来現在まで、意識的に合理思考を手放している。
なぜそういう考えに辿り着いたかというと、理由は以下。
- 合理思考で生きていく中で、歳を重ねるほど選択肢が少なくなり、息苦しさが増してきたから。
- 合理の外に目を向けると、まだまだいくらでも可能性は拡がっているし、楽しそうなことがたくさんあることに気付いたから。
という2点の理由を踏まえた合理的思考の結果、合理的思考を手放そうと思ったという経緯。
つまり結局のところ合理的思考を手放せているわけではない。合理的思考のもとに得た結論に従ってるわけだから。
という、よくわからない思考の循環の中で、今日も元気に生きている。
合理思考を捨てる心掛けがなかったら、YouTube発信はしていなかったと思う。だって、どう考えてもコスパ悪いもん。稼ぐ手段としてはコスパ最悪。大きく伸ばせるならまだしも、自分の人間性考えたら、マジョリティな世界で大きく伸ばすのは無理という合理的結論になる。
趣味として楽しいのは確かだけど、趣味として楽しいことなんか他にも色々ある。ハッキリ言って、ただ家で1人で静かにゲームをしていたり、ただ1人で外で散歩しているほうが楽して楽しめる。
合理的思考で考えても、YouTubeやる理由が見当たらないんだよ。だから今でも1か月に1回ぐらいの頻度で「もうやめようかな、面倒くさいし意味ないし」みたいな思考が顔を覗かせたりする。
でもそんなときは「いやいや、合理思考を手放すんだった」という心掛けを意図的に思い出す。すると、「やっぱりYouTube続けよう」と思い直せる。
なんで続ける結論になるのかというと、そこに言語化可能な理由はない。ただ感覚で「やりたい。理由はないがやるべきと思える」というだけ。
合理思考を手放し、そういう感覚によって判断しながら活動を続けている。以上です。