最近、YouTube動画を作る際、ラジオ形式で作ることを覚えてしまった。映像はサムネと同じ画像をずっと映し続け、喋るだけの形式の動画。あるいは数枚の写真だけ使ったり。
正直、すごく楽。動画を作る場合と比べて1/5の労力で作れる。楽を覚えてしまった。「これは果たして動画サイトであるYouTubeで公開する必要があるのだろうか」という若干の疑問を感じつつ、使い慣れてて利用者も多いYouTubeがやはり良い。
僕だって、視聴者を楽しませることのできる映像を作りたい気持ちはあるけれど、多分センスがないんだよな。編集を頑張れば頑張るほど、休日にお父さんが頑張って作ったホームビデオみたいになる。
だから、ちゃんと映像のある動画を作る際は、必要最低限のカットと必要最低限の字幕だけで編集をしている。それだと「"あえて"編集は簡素にする方針でやってます。シンプルイズベストでしょ」みたいな姿勢を取り繕えるかなと思ってる。本当はそれ以上の編集をするスキルがないだけなのは自分の中だけの秘密なのだけど。
浴びるようにテレビアニメを観て育ってきたというのに、ちっとも映像センスが培われていないのが不思議でならない。一体俺はこれまで浴びてきた映像から何を吸収したのだろうか。
映像が必須の札幌vlogやゲームハードのレビューに関しては映像を付けてるけど、それ以外で何かを喋る内容の場合、もうラジオでいいんじゃないかという考えになっている。
素人っぽい映像や、パワポで作ったビジネスライクな無味乾燥スライドを付けるぐらいなら「これはラジオです。だから映像は観なくて大丈夫です」という形の動画のほうが視聴者にとっても、良い意味で雑に気軽に楽しめるんじゃないかっていう仮説があって、ラジオ動画を作れば作るほどその仮説が実証されてきている。
無理やりひねり出した映像を付けるより、ラジオのほうが明らかに視聴維持率が高い。
退屈な映像を付けて視聴者の視界を画面に向けてもらい、退屈で視聴中止されてしまうのなら、最初から視界を借りなければいい。そういう逆転の発想。