僕は意識が高いビジネスエリートなので、プレジデントオンラインの熱心な読者だ。
毎朝7時にデスクにてコーヒーを飲みながらプレジデントオンラインを読んでいるというのは嘘で、本当は毎日昼過ぎに起きてファミ通読んでる。
ファミ通を読みながら関連ワードであちこち検索してインターネッツの世界を飛び回っていたら、以下のような記事と遭遇した。
https://president.jp/articles/-/68957?page=1
タイトル読んで、あーなんかわかるなあと思った。身に覚えあるなあと思ったので読んでみた。
記事に対する感想としては、その通りだなあって思ったぐらい。ざっと斜め読みした程度ではあるけど。
超要約しちゃうと、
「今の社会は安くて楽しくて1人で楽しめる娯楽(YouTube、Netflixなど)に溢れているから、ついついそれらで楽しみながらダラダラしてしまい、社会活動や人間関係構築に本気になりにくい。そして気付いたら独身中年になっていて、空っぽな自分に愕然とするリスクがある。手軽な娯楽は現状を変える活力を奪う麻薬であると自覚して自衛するほかない」
という感じ。
タイトルにある"独身中年"は、別にそれ自体を否定する内容ではなくて、比喩としての表現。
多分、今後はますます安くて楽しくて1人で楽しめる娯楽が増えていくんじゃないかな。AIによって次々と映画やゲームや小説などが自動生成されていき、しかもそれらは「どんな内容だったら人間の脳をハックできるのか」だけを淡々と計算して作られたものだから、エンタメとしてマジで面白かったりしそうだ。
つまり麻薬の量が増え、しかも質も上がり、ますます現状を変える活力が奪われていくっていう、そういう世の中になっちゃうんじゃないの?!おいおい、いいのかよそれで!
……うーん、まあ、いいんじゃないかなあ。それが正直なワシの感想ではある。
だって、映画とかゲームとか小説とか、YouTubeのしょうもない動画とか、面白いんだもん。
正直、AIが作るゲーム、超やってみたい。今は1000人以上の人間が細部を作り込まないといけないような分岐の多いゲームが、AIによってその場その場で自動で膨大なパターンを生成することで、未知のゲーム体験がそこにありそうなんだよな。
映画やドラマや小説にしても、作った人間のこだわりが強すぎてよくわからないことになる作品よりエンタメに徹してくれてる作品のほうがワシは好き。
とはいえ、作った人間の個性に溢れる作品に感じる魅力もあるのは間違いないから、単純な話ではないけれど。
そういう娯楽を楽しみまくり、そうしてる間に歳を重ねていったとして、それが「からっぽ」なのかというと、また別の話にも思える。
それら娯楽で楽しい時間を過ごしてきたことは事実なわけだから。
結局のところ人生なんていうのは、死ぬまでの有限な時間をいかに楽しむかだとワシは思ってる。で、楽しい時間を過ごしてきたならそれでいいんじゃないかな。
とはいえ単純な話でもないよなとも思っている。
そうやって安くて手軽で1人で楽しめる娯楽を消費していく楽しさと、他者と関わり信頼関係を作り一緒に何かして楽しんだり、何かしらの社会的活動に参加して達成感を得たりっていう楽しさがあるとして、どちらがより充足感を得られるかというと、ワシはやっぱり後者だとは思ってる。
ここまで書いたことと矛盾してるように思われるかもしれないけど。
手軽な娯楽に身をゆだねて楽しむのもいいけど、それだけだと物足りなさを感じる面があるのも事実っていう、そういう感じ。
それでいいんじゃないのと思う一方で、それだけだと確かに虚しさが募ってきたりする面もある。
トレードオフだよね。ぬるま湯は快適に気持ち良くて楽しい。ぬるま湯を出るとより充実感を得られるかもしれないけど、辛さも待ってるかもしれない。
だから、ぬるま湯で遊びつつ、たまに外にも出るみたいな、そういうことができたらいいのかなあって考えてる。
その、たまに外に出る活力も奪われるっていう問題があるという記事なわけだけど、まあ、そこで奪われる程度なのであれば、その場合は別にぬるま湯100%でいいようには思う。
特に整理せず雑感をつらつらと書いてきたけど、まとめてみると、
- 基本的にはぬるま湯を肯定
- でもぬるま湯だけだと物足りなさを自分は感じる面があるのは事実
- ぬるま湯に浸かってもなお残る活力こそ本物、その活力で少しは活動したりもしたい
というところかな。
まあワシの場合、結婚願望はないから独身中年になることは確定してますけどね。あ、もうなってるか。38歳は中年に入りますか?以上です。
↓動画版