昨日、ふと思い出した。
「そういえば俺って、タイムトラベラーだったわ」って。
すっかり忘れていたけど、50歳の頃に人生に絶望し「もう一度人生やり直せたらどれだけいいか」と思いながら首を吊ったら過去にワープして本当に人生やり直すチャンスを得たんだった。
思い出した経緯を書く。
昨日、映画の『アバウトタイム』を観た。
多分10年ぐらい昔に一度観たことがあるのだけど、「タイムリープもので、面白かった」という記憶しか残っていなくて、U-NEXTで偶然発見したので再視聴してみた。
記憶通り、面白かった。良い作品だった。
ジャンルでいうとSFというより恋愛ドラマで、恋愛ドラマはあまり好みではないものの、ストーリーのテーマが良かった。
「忙しく生きてると気付けないけど、平凡な日々こそ実は幸せですよね」みたいなテーマ。そう俺は受け取った。
過去へタイムリープする能力に目覚めた主人公は、最初は何かに失敗したらやり直すっていう使い方をしていく。
でも終盤ではそういう使い方はしなくなり、失敗も自分の人生の一部として受け入れていく。
では能力を何に使うかというと、忙しく過ごしてしまった普段通りの平凡な1日をもう一度やり直し、しかもあえて同じ行動をしつつも、実はそんな1日の中にも幸福が潜んでいたことを発見していく。
さらにその後はそういう使い方すらしなくなり、タイムリープから卒業する。デフォルトで日々の些細な幸福を味わえるようになる。
みたいな話。
↓そしてラストのシーン
「この日を楽しむために自分は未来から来て、最後だと思って今日を生きている」
実際にタイムリープなんかする必要がない。タイムリープしたことにして、今日に集中する。
そんな境地に達してエンド。
この考え方、いいなあ。そうありたいものだ俺も。
……あれ。なんか既視感あるな、この感情。
以前にも、そういう考えを持とうと思った記憶がある。
我慢しながら会社員労働を続け、会社の都合に振り回されて理不尽な目にあいながら自分の意見とは異なることを強制させられるストレスで心身を病み、酒に溺れて犯罪を犯し50歳の頃に牢屋に入れられ、
「なんで我慢ばかりしながら生きちゃったんだろう。本当はワンルームマンションでアニメやゲームを楽しんでその感想をネットで発信して自己満足してたらそれで楽しい日陰者なのに。そんな自分に実は気付いてたのに。なんで世間体とか見栄ばかり気にして労働ばかりしちゃったんだろう。やり直せたらどんなにいいことか……」
と絶望しながら首を吊ったら36歳の頃にタイムリープして本当にやり直すチャンスを得たのが今の俺。
みたいな妄想設定をこしらえてた記憶がある。
もちろん、そんなものは単なる妄想であって、本当にタイムリープしてきたと思い込めるわけではない。
でも、このまま今の生活を続けていくと十中八九そうなるとは思える。そういう予測が立つ。であれば、今は実質的に、そういう未来からタイムリープして戻ってきたようなものとも言える。
未来を実際に経験したか。あるいは予測か。違いはそこだけ。そして予測を信じられる限り、実質的な違いはない。
ということは、つまり俺≒タイムトラベラーってことだよな。論理的思考の結論としてそういうことになる。マジかよ、すげえ!
俺は実質タイムトラベラー。そういう考え方があったから、会社を辞めてそれと同時に縁もゆかりもない雪国札幌へ移住もできた面もある。
退職も移住も、やっぱり不安は大きかった。でも、このままいっても50歳にて牢屋で首吊りエンドなわけだし、なら思い切って好きなように行動すればええって思った。
なのだけど、退職も移住も完了して約1.5年が経過した今、新生活もすっかり日常化しており、やや惰性的な日々になりつつあった。そして自分がタイムトラベラーであることを忘れてしまっていた。
アバウトタイムに感謝だ。自分の正体を思い出させてくれた。
≒タイムトラベラーどころか、俺って本物のタイムトラベラーな気すらしてきた。
なぜかというと、牢屋の光景をまるで昨日のことのように事細かに思い出せるからだ。
たとえば壁の色は……覚えてないけど、壁の色以外は全部覚えてる。
とにかく、一度失敗してからやり直してるぐらいの考え方で、我慢しながら周りに合わせるのではなく、自分の思った通りに日々を暮らしていく。
そして今日という日を大切に楽しむことを積み重ねていきたいと思っている。おわり。
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