会社を辞めて1人の世界で生きようとしたけど孤独が辛くて無理だった話

今から2年前、36歳の頃に、もうやりたくもない労働ばかりする日々にウンザリし尽してしまい、会社を辞めた。

週5日の1日8時間以上も、他人に管理されながらやりたくもない労働をしている生活はおかしいと思った。生きてる意味がないと思った。

あと、会社という名の世間も大嫌いだった。周囲と合わせて波風立てないことばかり考えてて自分の考えがない集団に属しているのが苦痛で仕方なかった。だから辞めた。

 

会社を辞めてからの具体的な計画は特になかった。

ただ、FIRE達成できる程ではないもののそれなりの貯蓄はあったのと、ミニマリスト的な生活をしており生活費が低かったし、健康な独身だから、「まあ、なんとでもなるやろ」と楽観視していた。

とにかく、もうのんびり生きたいと思っていた。1人で隠居的な生活をしながら細々と生きたかった。

毎日アニメを観て、映画を観て、本を読んで、ゲームをする。それらで疑似体験してきた架空世界の人間たちの生きざまに触れ、何かを内省し、現実の何事かと紐付けて、誰も読まないブログあるいはローカルの日記にでも自分の思考を書き記していく。日が暮れてきたら夕暮れの中をのんびり散歩する。仕事は必要最低限しかしない。

そういう生活をしようと思った。

 

でも無理だった。孤独が辛くて継続できなかった。

一見すると今もそれと非常に近しい生活をしているのだけど、人との繋がりという面において、自分の中では以前とは明確に異なるスタンスで生きている。

 

以前の僕は、正直言って人との付き合いを軽視していた。煩わしいので、ごくごく少数の本当に心を許している人とだけ、年に1回も会って話せば十分ぐらいに思っていた。

学生時代はもう少し人付き合いに積極的だったけど、会社員になり、会社の中や外での人間関係の煩わしさにウンザリしてきて、退職後はもうなるべく人と関わりたくないと思うようになっていた。

もう本当に人と関わるのが面倒くさくて、月数万円の収益をあげていた発信活動すら辞めてしまったぐらいだ。

退職前からYouTubeとブログをやっており、それで自分のライフスタイルをネタに発信していたら収益を生めるようにまでなった。

でも収益を生むということは多くの人から見られるということでもあり、視聴者や読者からの色々な反応も返ってくる。好意的な反応なら素直に嬉しいけど、体感で3%はアンチ。アンチというか、うざい世間。

「そんな生活をしていて将来後悔しても知らないぞ」「大人ならちゃんと働くのが普通」みたいな感じ。

こういう、自分の考えを持たなくて世間の空気をそのまま代弁してくるBOTみたいな人たちの存在を感じたくないので、もう発信もやーめた、といいう理由でやめた(他にも発信を辞めた理由はいくつかあるけど、今回の内容とは関係ないので省く)。

 

発信すら辞めて以降は、誰とも関わらず1人で気ままに遊びながらブラブラしていたのだけど、残念ながら徐々に寂しさが募ってきてしまった。

そして半年が経過した頃には「ヤバい俺このままじゃ無理。会社辞める前より不幸になりそうな気がするんですけど」と感じるに至ってしまった。

だいぶアバウトだけど、最初の3ヶ月はヒャッハーしてて、そこから徐々に「……なんか寂しいかも」みたいな感情が募ってきた流れ。

この間は仕事も一切していない。失業手当があったので、とりあえずしばらく働かなくていいやって考えてた。だからもう本当に人との関わりは一切なかった。

 

おっかしいなあ……。1人の時間が大好きなはずなのに。1人で遊ぶ趣味もたくさん持っているのに。脳の半分は現実に生きていて、もう半分はアニメなどの架空世界に生きているような人間なのに。

アニメ・映画・ドラマ鑑賞、読書、ゲーム。これらでもはや死ぬまでに楽しみ切れないほどの膨大な作品がある。だからそれらで楽しんでればいいじゃんって思ってたのに……。

週5日1日8時間以上も人に管理されながら嫌いな世間に属して労働していた生活と、趣味で遊んでられるけど人との関わりが全くない生活のどちらが辛いかというと……わかんねえ。

ぐらいの感じだった。

「いやさすがに趣味で遊んでるほうがマシだろw」と9割のリタイア希望者は思うだろうけど、これが世間嫌いの1人好きな僕の実体験。

まあ、喉元過ぎれば熱さを忘れるって面もあるだろうけど、とにかく人との関わりがないのはきつかった。

 

という経験を経て、「人との繋がりって大事なんだなあ」なんていう真理に良い年した大人になってから改めて気付いた。

とはいえ、じゃあ社交的になって友達をたくさん作ったり結婚したいかというと、そんなことは全然ない。

ただ、以下のようなことをやるようにはなった。

  • 本当に心を許している友人と今までより多く会う。オンライン含めて。
  • 疎遠になりつつあるけど仲が良かった友達に自分から声を掛けて一緒に遊ぶ。
  • 発信活動の再開。うざい世間からの反応は聞き流したり「嫉妬乙w」とニヤニヤ眺める。
  • 発信キッカケで人と会うなんて以前は1ミリも考えてなかったけど、相手も発信しててヤバそうではなくて楽しそうなら会うのもアリと思い直した。そしたら移住した札幌で一緒に遊べる人ができた。

 

この程度のことしかやってない。でもこの程度が僕にとっては大きな変化でもある。

このぐらいの人との繋がりがあるだけで、もう全然違う。孤独で辛いみたいな感覚は今はない。

世間一般と比較したらだいぶ人付き合いは少ないほうだろうけど、比べるものでもない。自分にとって心地良い人間関係があれば満足。

本当に日々の満足度が全然違う。孤独に関する本を色々と読んだりしてみたのだけど、孤独が人間を不幸にする事例は数多いらしい。それに健康に悪いという研究結果もあるらしい。

孤独に関する本で読んだ中だと『世界一孤独な日本のオジサン』が最も記憶に残っている。最も最近に読んだからかもしれないけど。

オジサンに限らず、今後孤独になりそう、あるいは既になってる自覚がある人は一読することをオススメする。

孤独を舐めないほうがいい。単なる体感の話だけど、「自分は1人でも平気。1人が好き」と言ってる僕みたいな人であっても、よほどの変人でもない限り孤独は無理。

 

孤独関連の本を色々探したり読んでて思った。孤独を美化する風潮があるよなって。

自分ももしかしたら、無意識にその風潮に影響を受けていた面もあるかもしれない。

でも実体験を経た今は、孤独はただ辛いだけで美しくもなんともないと考えている。

1人でのんびりゴロゴロする時間は大好きだし、1人で趣味に没頭するのも大好き。

でもずっとその時間が続いていくと孤独が顔を覗かせてくる。そういう感覚。

 

という実体験をここに記しておく。

誰かが偶然これを読み、何かしら参考になれば嬉しいし、人のためにはならなくても、自分の体験の記録としてでも残しておきたいと思って書いた。おわり。

 

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