「半農半X」という生き方に魅力を感じている

先日、「半農半X」という生き方を知った。読み方は「はんのうはんえっくす」。

この生き方がとても勉強になったので、どんなものなのか共有していく。

 

 

「半農半X」を知ったキッカケ

以前に読んでとても参考になった『減速して自由に生きる ダウンシフターズ 』から関連本を色々と読んでいったら『半農半Xという生き方【決定版】』という本にも行き着いたのがキッカケ。

著者は塩見 直紀さんという方。「半農半X」という生き方の提唱者とのこと。

2003年に『半農半Xという生き方』を出版して、そこで半農半Xを提唱。その後2014年に【決定版】として文庫化された本が上記のようだ。

つまり、半農半Xの提唱者が最初に書いた本の【決定版】であり、半農半Xを今から知るなら最初に読むべき本と言える。

 

「半農半X」とはどんな生き方なのか

「半農半X」とは、名前の通り、半分は農作業をして、半分は別の何か(人によって異なるのでXと表現)をやりながら生活するという生き方とのこと。

半農半Xという生き方【決定版】』の中では、提唱者の塩見さんは半農半Xを以下のように表現している。

天の意に沿って小さく暮らし、天与の才を世に活かす生き方、暮らし方

あるいは、

小さな農業で食べる分だけの食を得て、ほんとうに必要なものだけを満たす小さな暮らしをし、大好きなこと、やりたいこと、なすべきことをして積極的に社会にかかわっていくことを意味する。

など。

Xについては、さらに詳しくこうも書かれている。

Xは使命(ミッション)。自分の個性、特技、長所、役割を活かして社会へのなんらかの貢献を目指す。大好きなこと、心からやりたいことをして社会に役立ちながら、それが金銭となり生活収入となる。人は何かを売って生きているが、魂までは売らずに生きていたいと願うものだ。

こう言われると「そんなもの自分にはない」と感じる人が多いだろうけど、別に高尚な何かである必要はないし、「社会的地位が高い」とか「収入が高い」みたいな物差しで考える必要もない。

半農しながら必要なものだけで小さく暮らすと生活費が安くなるので、稼ぐ必要のある額も減る。その利点を生かして、せっかくならやりたいことやっていきましょう。という考え方。

都会の環境と半農出来るような田舎の環境はまるで違うはずなので(その辺のことも本で色々学べた)、半農しながらやりたいこと、やれることを模索するのでもいいんじゃないかと、読みながら思った。

本の中には、塩見さんご自身の半農半X生活や、その他の方の実践事例が色々と紹介されており、とても勉強になった。

 

「半農半X」に魅力を感じている

半農半Xという概念を知り、生き方に対する視野を拡げられた。

「なるほど、その手があったか」という気付きを得た感覚がある。というか、なんで自分で発想できなかったのか逆に不思議なぐらい。都会育ちな僕の頭の中には「食べ物を自分で作る」という発想が気持ち良いぐらいに欠落していた。

食の全てを自給するなんてことは、さすがにハードルが高すぎる。50%ですら無理だろう。10%でも全く自信はない。

まあでも一旦、実現可能性は脇に置き、仮に食の10%でも自給できたとしたら……。それでも十二分に魅力的に思える。

以降、半農半Xのどこに魅力を感じるのか書いていく。

ただその前に、まずは前提から。

 

【前提】僕はダウンシフト生活をしている

僕は自分の今の生活を「ダウンシフト」という言葉で表現できると思っている。

「ダウンシフト」とは、「過剰労働と過剰消費を辞めて、金よりも時間、物質よりも精神を大事にして生活にゆとりを作る生き方」のこと。

ダウンシフトという概念を知る前から、金のために過剰に働き、稼いだ金を過剰に消費する忙しい日々に僕はウンザリしていた。

「幸福に生きていくための手段」に過ぎない金のための労働をしすぎて生活が労働に支配され、でもそのおかげでお金は必要以上に稼げる。でも時間的余裕も精神的余裕もないので必要以上に消費していく。

そこまでして働いて作っているものが世界平和に貢献するとかならまだ頑張るモチベーションも湧くかもしれないけど、実際は「別にあってもなくても世の中には影響ないよな」と思うような物やサービスを作っているばかりだった。

消費に関しても、確かに便利ではあるけど別に無いなら無いでも構わない程度の物や、お膳立てされた娯楽に消費されていくばかりだった。

金はあるけど時間的余裕と精神的余裕はない。その状態が幸福かというと、当然そんなわけはない。幸福に生きるための手段として金を稼いでるはずなのに、そのために金以外の余裕を失い不幸になる。

こういう状態に対して僕は大いなる矛盾を感じていて、あと会社員労働も自分に合わなかったので、なんやかんやあり、色々考えた末に、当時勤めていた会社を辞めた。

過剰に労働するのを辞める。その分収入は減るけど、過剰に消費するのもやめる。そしたら生計は成り立つ。ならそれでええやん。ということでダウンシフト生活へ。

その後「ダウンシフト」という概念を知り、自分の他にも世の中には同じように感じている人がたくさんいて、言葉が作られているほどであることを知り、ちょっと安心した。そうだよね、過剰労働・過剰消費社会っておかしいよねやっぱり。目的と手段を取り違えてるよね。

という僕にとって、「半農半X」は、ダウンシフト生活を今より更に推し進めることができる生き方だと思える。だからとても魅力的なのだ。

 

「半農半X」をすればダウンシフト生活を推し進められるはず

「半農半X」が、どういう意味でダウンシフト生活を推し進められると思うかというと、以下。

  • 自然に触れながら食べ物を育て、それを自分で食べるのって、自然と調和した生き方だと思える。物質主義的世界からの離脱に繋がる。
  • 生きていくのに絶対に必要な食べ物を一部でも自給できる安心感。セーフティネットになる。
  • 自給した分だけ食費が浮く。食費が浮くと金のための労働量を一層減らせる。
  • ある程度の田舎に住むことになるはずだから、今より住居費も下がるはず。住居費が下がると同上。
  • ある程度の田舎に住むことになるはずだから、静かな空間にて開放的な気分でXに集中できそう。

 

こういうの、いいなあ。想像するとワクワクしてくる。

畑が広がっているような田舎で、畑付きの広い一軒家を賃貸して、そこで広々と暮らしながら、じゃがいも、大豆など汎用性が高くて栄養も豊富なものを中心に作る。

仕事としてやるわけではないので、自分が食べる分だけを細々とやれればいい。失敗したら買えばいい。

それ以外の時間は自然に包まれながらX活動に集中する。僕の場合は執筆、動画制作が主だ。本の形で書きたいテーマが色々あるし、そういう暮らしを題材にした動画も作ってみたい。

とはいえ、いきなり今の都会生活からそういう生活へ移行するのは色々と無茶に思えるので、段階を挟む。

畑が広がってるほどではないけど地方の割と田舎で、安い賃貸マンションに住み、近所の貸農園あるいはベランダだけでも超ミニマムにじゃがいもを作るなど。少し移動すれば畑が広がってる場所があって、そこで農業のお手伝いをさせていただきながら教えていただいたり。

まずはそういう環境がいいなあ。

 

おわり

以上、簡単ながら「半農半X」という生き方の紹介と、僕がそれを魅力に感じている理由を書いてきた。

書いてきたような生活イメージへすぐに移行していくと言ってるわけではない。色々と考えて決めていきたい点が多い。それらを決めていきながら、一歩ずつでもまた生活を変えていきたいと思っている。

以前は「虫が苦手なので田舎暮らしは無理。まして農作業なんて不可能」と思っていたけど、そういう考え方も変わってきている。まあ地球だし虫ぐらいいるよなって思えてきている。自分も虫も地球上の生命体というカテゴリでは同類だし。自分が存在してるのだから、そりゃ虫だって存在するよ。地球における役割分担をしていけばいい。

今年の中頃から、ダウンシフト度合いを高めたい気持ちを持っている。当初の予定だと札幌のような地方の都市で利便性を享受しながら小さく質素に暮らし続けるイメージだったのだけど、そういう暮らしを続ける中で、次の段階に進めたい気持ちになっている。

「札幌よりはだいぶ田舎だけど一応都市」ぐらいのところを検討していたけど、半農半Xの考え方を取り入れて、もう少し田舎方面へと考えをシフトしていこうかなあと思案中。

 

動画版