やりたいと思うことはやれるうちに打算抜きでやりたいので、エッセイ本を書き始めた

前々から「退職と移住をしてライフスタイルを抜本的に変えた自分の経験を、エッセイ本という形で綴りたい」という気持ちを持っている。

文庫本1冊になるぐらいの文章量(10万文字前後)を使い、退職・移住前後の日々や、その日々の中で考えたこと感じたことを書いていくイメージ。そういう本をすごく書きたい。

でも、本1冊になるほどの文章量を書いていくのって本当に大変で、だからなかなか着手できずにいた。やりたいけど一方で面倒くさい面もあり、重い腰がなかなか上がらない。人間だもの。

 

本1冊分の文章を書いたことは、過去に一度だけ経験がある。今から約1年前に、11万文字で初めて小説を書いてみた。企画・構成から推敲完了までで丸3か月掛かった。

2022年の6月7月8月は、毎日朝9時から夕方5時まで小説を書いていた。休憩を1時間挟み、1日当たり作業時間は7時間。毎日7時間を丸3ヶ月。

書いていた日々は毎日とても充実していた。ただ素人が小説を書いているだけなのに、謎の「やるべきことをやっている感」もあった。

でも一方で辛かった。毎日7時間も1つの小説を書き続けるのは辛い。会社の仕事と違って頭をフル回転させる必要があり、とっても疲れる。1日7時間が脳の疲労的に限界。

何もかもを1人の頭の中で行っているので客観的な目を失っていくのもわかるし、でも書き続けるしかないし。書いていく作業は楽しいけど苦しかった。

書いていくうちに前のほうの内容を変えたくなり書き直す。すると他のところにも影響が出てそこも書き直す。ということをやっていくうちに全体の構成が崩れそうになったりもして、長文ならではの難しさにも直面した。数千文字で完結するブログとは難易度が全く異なる。

 

あと「これだけ膨大な時間を使い苦労して書いたところで、何になるのだろう……」みたいな虚無感も正直あった。某新人賞に応募するつもりで書いていたけど、ハッキリ言って今書いているものが受賞できるわけがないことは分かりきっていた。どう考えてもその域に達していない。そして実際に受賞しなかった。その域に達していない作品をkindleで出版したいとも思えない。

まあハッキリ言って、完全に自己満足の創作だった。

「一度でいいから長編小説を1作書いてみたい」という気持ちをサラリーマンの頃から持っていて、それを実行しない限り死ぬときに後悔しそうだから書いた。という理由がおそらく最も大きい。

当時はブログもYouTubeもやっておらず暇だったから、やるなら今しかないとも思った。

結局は受賞できず、書いたところで世の中には何も提供していないものの、自分の中では満足感が大きい。自分のやったことに対する納得感がある。だから苦労した甲斐はあったと思っている。

あと、最後まで書き上げた瞬間の達成感は最高だった。部屋の床に大の字になって「最後まで書いたぞ!やったー!」と感動してた。

最高の自己満足体験だった。死ぬ瞬間に、大の字になって達成感に震えたあの日を思い出すと思う。ちゃんとやりたいと思うことをやりきったぞって。

 

……いや小説の話はいいんだよ今は。本題じゃない。言いたいのは、過去の小説執筆の経験により、本1冊になるほどの文章を書いていくのは達成感が大きいものの大変だと痛感し、だからエッセイ本も書きたいと思いつつ重い腰が上がらない状況が続いていた、という話。

でも、重い腰を上げて書くことにした。というか書き始めている。全体の構成をざっくりだけど作り、冒頭から1万文字ほど書いた。

なぜ重い腰が上がったかというと、やっぱり書きたい気持ちが強いからだ。

人生方針として、「どんどん歳を取って衰えていき、健康もいつ失うかわからない。だから、稼げるかとかモテるかみたいな打算ではなく自分の気持ちを優先して、やりたいことはやれるうちにやる」というのがある。

その方針の一環で会社を辞めたり札幌への移住もしたし、小説を書いたし、ブログやYouTube発信もしている。そして今度はエッセイ本を書く。全ての活動は1つの方針と繋がっている。

 

なぜ重い腰を上げるほどエッセイ本を書きたい気持ちが強いかというと、

  1. 将来の年老いた自分に向けて、自分の人生経験をしっかり記録に残しておきたい
  2. 今書かないと死ぬ瞬間に後悔しそう
  3. 何かしらの価値を提供できる内容にできる気がする
  4. 本1冊分になるほどの文章を書くのは本当に大変だし経済的なリターンはほぼないにも関わらず、強烈な達成感を得られる。あの達成感をもう一度味わいたい

というところ。

 

先日、以下の記事を書いた。

 

この記事は、東京で嫌々ながらも惰性でサラリーマンをしていた僕が、退職と移住をして生き方を大きく変えた経緯を書いた内容になっている。

この記事が思いのほか多くの人に読まれて反応もあり、けっこう驚いている。

この記事は、まず第一に自己満足の位置づけで書いた。年老いて記憶も薄れてきた将来の自分のために、若いころの自分の思考や行動を記しておきたい理由と言ってしまっていい。

とはいえせっかく書いてブログとして公開するからには、読んでくれた人の中にも何かしら残るものを提供できればとは思っていた。でもそれは副産物としてそうなればいいなという程度で、そこを期待はしていなかった。

この記事は約1万文字も書いて長いから、いつものブログ以上に読まれないだろうとも思っていた。

ところが実際は逆で、いつものブログ以上に読まれて反応もあったから、あれ、こういう個人の体験記って、もしかして需要あるの?と思ったりしている。

今書き始めたエッセイ本は、この記事をもっと膨らませた内容をイメージしている。ブログの1記事で書くにはさすがに文章量が多すぎるため書かなかったことが大量にあるので、それらを思う存分書いていく。それがエッセイ本のイメージ。

 

ブログの1記事と違って本は読むまでのハードルが高くなるけど、そのハードルを越えて読んだ人には、ブログ記事と同じ方向性だけどもっと強烈な何かを残せるのではないか。もしそうなったら、それはまた達成感がすごそうだ。その達成感を味わいたい。

本当にイメージ通りの本が書けるかどうかわからないけど、以前の小説と同様、やってみなかったら死ぬ瞬間に絶対に後悔する。「なんでまだ健康で書けたときに書かなかったんだろう」て。そういう後悔をしたくない。

語弊があるかもしれないけど、いつ死んでも納得できるようにしておきたい。人間はいつ死ぬかわからない弱い生命体なので、ちゃんと死に備えておきたい。そのためにも、今やりたいと思えることはやっていきたい。

そういう考えのもと、エッセイ本を書いていこうと思っている。

書いたらkindleで出すか、文学フリマやコミケで出展するか、本ではなくなるけどブログやnoteで20記事の連作みたいな形で掲載するかかなあ。どうせなら本にしてみたいけど。

まあ色々考えつつ、とにかくまずは書く。