最近の生活。色々とシンプルになってきている。

ここ1か月ほど、以前にも増して生活がシンプルになっている。

よくある1日の過ごし方を書いてみる。

 

0800 起きる、掃除、歯磨き、トイレ、寝ぐせ直し

0900-1200 文章を書く

1200-1300 読書

1300-1400 片道1時間前後、散歩しながらカフェか図書館へ

1400-1600 カフェか図書館でブログ、動画作り

1600-1700 カフェか図書館でボケーッとする

1700-1800 徒歩で帰宅 帰りにスーパーに寄り、割引の何かを買う

1800-2000 風呂、買ってきた何かを使って料理、夕食

2000-2330 U-NEXTでドラマ、アニメ、映画など観る

2330 布団に入って寝る

 

みたいな生活ばかり送っている。それぞれに使う時間が増減したり順番が入れ替わったりすることはあるけど、概ねこのパターンが多い。

もちろん、こんな生活を毎日送っていたらいずれ金が尽きる。株で資産運用はしているけど、そのリターンだけで生活費を賄うには運の要素が大きい。またブログや動画で得られる収益は月平均で1~2万円程度であり、やはり不足している。

だからごく低頻度だけどバイトをしたりはしている。既に最後にバイトをしてから10か月ぐらいが経過しているが……。ここ1年は投資リターンが大きかったからだ。でも今後はまた最低限だけ労働しようとは思っている。資産運用の原資はなるべく減らしたくない。そこが減るとジリ貧になっていく。

 

今の生活の基本的な考え方として、自分にとって大切なことから順番にやっている。

まずは、脳が最も元気な朝のうちに、文章を書く行為を最近はしている。具体的には、「社会のレールに沿って惰性でサラリーマンをしていたけど、その生活を変えた自分の体験」を文庫本1冊になるぐらいの文章量でエッセイとして書き進めている。なぜそんなことをしているかは、以下記事に書いた。

それ以外にも、何かテーマを設定してそれについて本ぐらいの文章量を使って何かを書いたり、あるいは小説を書いたりしたい。それが今の自分が最も関心を持っていることだ。だからそれをまず朝にやっている。というか、それをやるために朝起きているとも言える。

 

その後は本を読むようにしている。読みたい本が大量にあるので、毎日1時間は読書したい。経験上、「1日1時間は読む」みたいに決めておきたい気持ちがある。そういう決まりがないと、延々と読み続けて他のことができなくなったり、逆にしばらく読まない日々が続いて読書週間が薄れたりする。

良くも悪くも、本を読むのは生活に対して一定の負荷が掛かる。アンテナを伸ばして読みたい本を見つけ、その本を借りるなり買うなりで確保して、1つのテーマについて10万文字前後の活字で書かれたような他人の思考の塊に触れて理解して、それを受けて自分も何かしら考える。楽しいけど面倒くさい。それが読書だ。

小説も同様で、読み始めると楽しいけど、最初の一歩が映像作品と比べると億劫な面は否定できない。だから「1日1時間は読む」みたいに決めておきたくて、僕はそうしている。億劫だけど、その分だけ入り込めたときの充実感が大きいし、それが自分にとって大事な営みであると直感もしているからだ。

 

その後は、ずっと家の中で文字に向かっていると目が疲れるしメンタルにも良くないので、外に出るようにしている。1日1時間ぐらいは歩きたい。のんびりと歩きながら、何か考えたり、ただ景色を眺めるのが好きなんだ。その時間をなるべく毎日味わいたい。

そうして散歩を楽しみながら移動して、図書館や安いカフェ(カフェというかマックやファミレス)にインする。そこで3時間ほど長居して、ブログを書いたり動画を作ったりしている。

最近はもう、日記的なものや、考えたことを雑記的に書いたり喋っているばかりになっている。以前は札幌移住やゲーム情報に焦点を当てた発信もしていたのだけど、ここ1ヶ月はそれらを更新していない。更新したい気持ちはあるものの、それらは趣味か仕事でいうと仕事の領域に入ってしまい、しんどくなってしまっている。仕事としてやるには収入が割に合わない。とはいえ趣味で気楽にやるにしては色々としんどい。

発信に関しては、創作趣味の一環で、日々の生活を題材に何か書いたり動画にしたりする程度でいいや、という方針で最近は取り組んでいる。

 

その後も図書館やカフェに留まり、ボケーッとしている。いや、より正確に言うと、「何もしない」をしている。

何もしていないのではない。主体的に「何もしない」をしているのだ。何事も人並み以上に考えてしまう内省志向の塊みたいな僕にとっては、意図的に何も考えない時間を持つことが重要になってくる。

この何もしないをする時間は、僕の生活の中でモードを切り替える役割を果たしている。それまでは創作したり、活字を読んだり、歩きながら何か考えたりしていたのだけど、何もしないをして以降は、ただ楽しみのためだけに過ごすモードに切り替わる。

創作も読書も自己満足の楽しみのためであるのは間違いないものの、ただ遊んでいるのとは違う感覚がある。せっかく生きているからには何かやりたいし、世の中のことを知りたい。そういうモチベーションがある。

一方で、何もしないをして以降は、文字通りただ遊ぶ。ただ景色を眺めながら散歩して、スーパーで呑気に割引商品を漁り、帰宅して風呂に入って自炊して食べて「うめえ、うめえ」と喜ぶ。で、映像作品を視聴して楽しんで寝る。

 

そんな日々を最近は過ごしている。

まあ以前からも似たようなものではあったけど、以前はもっと色々とやろうとしていて、今より忙しい日々を過ごしていた。札幌のあちこちへ出かけて動画で撮影して編集したり、多くのゲームで遊んで感想動画を作ったり、ゲーム機の細かいところまで確認したり検証したりしながらレビュー動画を作ったり、料理本を見ながら色々な料理にトライしていたり(今はパターン化した簡単な物しか作ってない)など。

思い返すと、以前はもっと多くのことを、無秩序にやっていた。昼過ぎに起きて、やろうと思っていることがたくさんある中で無計画に色々と手を付けてるうちにあっという間に午前4時になってて、寝て起きてまた昼過ぎ。みたいな感じだった。

別にそれはそれで楽しかったから全然否定はしないのだけど、今ぐらいのシンプルで整理されてる生活のほうが僕の性には合ってるようには最近感じている。

 

発信活動でどうにか稼ぎたい、しかし再生数目的のワイドショー的な下品なことはしたくない、とにかく自分が価値あると思える文章なり動画を作り続けるしかない。みたいなプレッシャーを以前は常に感じていたのが正直なところだ。

会社に縛られず自由に生活するために、発信活動に縛られていたと言ってしまってもいいかもしれない。会社に縛られるよりは10倍マシではあるものの、再生数や収益で一喜一憂するのもそれはそれで疲れる面はある。

発信に関しては、金になるかならないかは置いといて、自分がやりたいと思うことを優先する趣味路線で再定義しなおした。

そして生活に余裕ができたことで、書きたいことを書いたり本を読んだり映像作品をたくさん視聴する日々になっている。

 

もちろん生活のためにお金を稼ぐ必要はあるのだけど、そこは冒頭に書いた通り、久しぶりにバイトか派遣でもてきとうに再開しようとは思っている。投資成績や発信収益を見ながら労働量はチューニングしていきたい。

みたいな日々。