働きたくないのではない。やりたくないことをやりたくないだけ。

よく勘違いされるのだけど、僕は別に働きたくないわけではない。

働きたくないのではなく、やりたくないことをやりたくないだけだ。

なぜやりたくないことをやりたくないのかというと、やりたくないからである。

やりたくないのでやりたくない。すっごくシンプルな話。

 

僕のやりたくないことは具体的には何かというと、

  • 自分の考えとは違う何かを強制的にやらされること
  • 退屈なこと
  • 健康に悪いこと

など。

他にも色々あるだろうけど、今パッと思い浮かんだのがこの3つだったので、この3つが自分の中で大きな要素なのだと思われる。

そしてこの3つ全てに当てはまることの1つが、僕にとっては会社員として働くことだった。

自分の考えとは関係なく組織の都合で仕事を強制させられ、自分の考えとは違うので意義を感じないため退屈で、ストレスが溜まるので健康にも悪い。

だから僕の中では「会社員として働くこと=やりたくないこと」は成立する。

ただ、会社員はあくまで働き方の1つに過ぎないので、これだけで「働きたくない」と言ってしまうのは論理が飛躍している。

 

働く=何か活動して、それを通して誰かに何かしらの価値を提供して稼ぐ と定義すると、そういう意味では、働きたくないとは別に思わない。

むしろ、何か活動したいと思えることがあり、それを通してお金も稼げるのなら素晴らしいことだと思う。

まあ現実的にそんな上手い仕事をできるのは一握りの人間だけで、結局のところお金を稼ぐためには会社員に限らず我慢を強いられたり理不尽に耐えたり辛い努力をしたりっていうことが付き物ではある。

そういう要素まで含めると「働きたくないなあ。面倒くせえなあ」という気持ちにやっぱりなったりはする。

 

でもそれは働くということにどこまで情熱を注ぐかって話にもなる。

すっごくゆるく、もはや自己満足の領域で何かしてるぐらいのことならやってたいし、やってる。

それを果たして「働く」と呼べるのかはわからないし正直どうでもいいのだけど。

 

というか。

ちゃぶ台をひっくり返すようなことを言ってしまうけど、そもそもの話として、「働く」という考え方自体に、ウンザリしちゃってる感情が自分の中にある。

「はいはい、もうわかったよ。もう疲れたよその考え方に。俺はただ、やりたくないことをやりたくないと思ってるだけなの。で、やりたいと思うことはやりたいの。それだけなの」

というのが率直な今の感情。

やりたくないことの中に「働くこと」が含まれたりする一方で、やりたいことの中にも「結果的に働いてると呼べること」が含まれたりもする。

それだけの話で、もうそれ以上考えたくない。

40手前になり、仕事で苦労してきた結果、現実を受け入れて淡々と働くルートではなく、もうドロップアウトして好き勝手に好きなことしていこうって発想になった。

 

 

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