「やりたいことがない」という人って世の中にけっこう多いと思う。
そういう人は、とりあえずまず、「やりたいこと」を探そうとするのではなく、「やりたくないこと」を辞める方針でやってくがのいいと思う。
なぜかというと、人間のエネルギーは有限だからだ。
そんな有限なエネルギーを「やりたくないこと」に割いていることが原因で、やりたいことがない状況にあるかもしれない。
そうである場合、優先すべきは「やりたいこと探し」ではなく「やりたくないことを辞める」になる。
やりたくないことを辞めて有限エネルギーに余裕が出来てきたら、わざわざ探すまでもなく、ごく自然に色々な事へ興味が向き、その結果、ごく自然に「やりたいこと」も発生してくるような人もけっこういるんじゃないだろうか。
まあ、別に「やりたいこと」を持つのが正解なわけでもないし、好奇心の大小には個人差もあるだろうから、「やりたくないこと」を辞めたところで「やりたいこと」はやっぱり発生しない人もいるだろうけど。
でも、そうであっても、「やりたくないこと」を辞められたらそれに越したことはない。
だからやっぱり、「やりたいこと」なんてものを無理に探そうとするよりは、とりあえずは「やりたくないこと」を辞める方向で考えるほうがいいと思う。
以下、僕の場合の実体験。
週5日も朝から晩まで会社で嫌々働いてたときは「やりたいこと」なんて無かった。
「働く」「休む」「酒を飲む」「散財しながら憂さ晴らし的に遊ぶ」のいずれかで生活が占められていた。
「休みたい」「酒を飲みたい」「憂さ晴らしのために遊びたい」がやりたいことだったと表現することはできるけど、ここで言ってる「やりたいこと」はそういうものを指しているわけではない。
何か主体性を持って「〇〇に興味が湧いてきたぞ。やってみたい」みたいなものは無かった。休日は酒を飲んでばかりいた。
思い返すと、それも無理はなかった。
だって、週5日も朝から晩までやりたくないことをやって心身ともに疲弊していたわけだから、有限なエネルギーが枯渇して、「やりたいこと」云々なんて概念が入り込む余地が残っていないわけだから。
でもその後、転職して会社の嫌度を下げることに成功した際、酒浸りな休日が緩和されて、「次の土曜は〇〇に出掛けよう」みたいな感じの「やりたいこと」が自然と生まれてきた。
さらにその後、会社員という自分には向いてない働き方そのものを辞めたら、以下のような「やりたいこと」をいつの間にか持つようになった。
- 文章を書くのが好きだから、自分が自由に編集できるブログを持ち、そこで自由に書きたいことをどんどん書きたい
- 本も書いてみたい
- 街や自然の中でのんびり過ごすのが好きだから、そのときの風景を動画にしてみたい
- 喋るのが好きだから、喋る動画も作りたい
- サイクリングしたい
- アウトドア的な遊びもしてみたい
「会社を辞めて自由時間が増えたから、何かやりたいことを探そう」みたいな意識は全く働かせてない。
ただ「気の向くままにのんびり過ごそう。やりたくない労働は生活を維持するための必要最低限の範疇に留めておこう」ぐらいしか考えていない。
でもふと気付いたら、「やりたいこと」と呼べるものが自分の中に複数存在していて、のんびりした日々の中でそれらで楽しむ生活になってる。
そういう実体験があるので、「やりたいことを探すより、やりたくないことを辞めるほうが優先」という持論を持っており、今回はそれを書いてみた。おわり。
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