会社員の何が辛かったのか 備忘録として書いておく

僕は今から約2年前まで、3社で計約13年間ほど会社勤めをしていた。

持って生まれた性格的気質や後天的に習得してしまった物事の考え方が会社員という働き方と相いれない部分が多くて、騙し騙し13年間もどうにかやってたものの、結局ドロップアウトした。

でも今後、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的に、会社を辞めてからの時間が経てば経つほど辛さを忘れ、「また会社員としてフルタイムで働くのもアリかな」と思わないとも限らない。

だから、まだ記憶が残っているうちに、「会社員の何が僕は辛かったのか」を文章に残しておくことにした。

個別具体的なことを全て洗い出そうとするとキリがないので、抽象的なレベルで、自分にとって特に大きかったことだけを厳選して書く。

 

 

時間、場所、やることの束縛が大きすぎて人生が支配される

会社員として働くことの何が大変だったかというと、まず第一に、週7日しかないうちの5日間も朝から晩まで時間や場所を束縛されて、やるべきことも指図される事それ自体だった。

生活のためにお金を稼ぐ必要があるとはいえ、いくらなんでも人生を束縛されすぎだと感じていた。

具体的な仕事内容とか、人間関係とか、給料とか、そういう話以前に「この時間からこの時間まで、この場所で、これをやりなさい」という束縛を週5日間も朝から晩まで受けることそれ自体がきつかった。

9時~18時(+残業)と勤務時間が決まってる会社から、フルフレックスの会社へ転職して束縛を緩めることでどうにかやっていこうとしたこともある。

最終的にはフルフレックス、在宅ワーク、仕事をどう進めるかも自分の裁量という、会社員という範疇の中では束縛の緩い環境にはなっていた。

それでも結局、会社に時間を買われて労働力を提供する契約である賃金労働者であることに変わりはなくて、束縛度が10から7に減った程度。7でもやっぱり人生を支配されすぎだと感じることに違いはなくて、もう会社員という働き方そのものから身を引いた。これ以上は自分みたいな人間には無理だと悟った。

そういう、時間、場所、やることの束縛を大幅に受けることそれ自体がとにかく嫌だった。

もし、自分にとってすごく価値があると思える物事であるなら、週5日間の朝から晩まで時間を捧げたっていい。

でも、会社の仕事なんていうのは所詮は他人事なわけで、自分にとってすごく価値があると思える物事であるはずがない。

世の中には他人の事業へ労働力を提供することよりも大切な自分事で溢れている。

それに、会社の仕事というのはそういう「他人事」という観点で考えなくても、その仕事自体が無価値なものばかりだ。

そもそも他人事であるから自分の中で重要度が低い。その上、なんでこんなことをやるのか意味不明な、無価値な物事ばかり。

それが会社の仕事というもの。どう考えても、週5日間も時間、場所、やることを束縛されるに値しない。

「会社の仕事には無価値なものが多い」というのは、次に書く話とも関連してくる。

 

世の中的になんの価値もないと思ってるのに、その本音を隠して、価値があることに前向きに取り組んでるかのようなフリをしないといけない

これ、すごくあった。過去に勤めた3社のいずれでもあった。

「フリをする」あるいは「無価値だと思うととてもやってられないから、価値があると自分に無理やり思い込ませる」。

真剣な顔をしながら穴を掘って埋める作業をしている感覚。で、良い歳した大人たちが集まって会議を開き、真剣な顔で「穴はもう少し深く掘ったほうがいいのでは?」「シャベルを新型に変えることで効率を上げられそうだ」「ここまでの進捗を責任者に報告しよう」とかなんとか議論してる感覚。

そもそも掘って埋める仕事が無価値であり、その無価値な仕事を進める事に付随する仕事や議論も全て無価値。

 

過去に会社で行ってきた仕事の全てとは言わないけど、ざっくり5割ぐらいは「この仕事ってなんの価値もなくないか?」と思えるようなものだった。

たとえば以下のようなもの。

具体的なタスクのレベル

  • 誰もまともに見てないけど形式的に必要な書類を作成する。たとえば形骸化しているチェックシートにチェックを入れて「ちゃんとチェックしたのだ」という体裁だけ保つとか。
  • 以前は何か目的があって始まった定型のルーチンワークを、状況が変わり既に必要なくなってるのに続けている。
  • バカなクライアントや上司が的外れな要望をしてきて、何の意味もないと分かりつつ、いちいち議論するのも面倒くさいので対応(〇〇の情報を出してほしい、資料のここを直してほしい、システムの仕様をこう変えたい、など)。
  • 意味ある指摘なんて何もできない無能だけど形式的には管理する立場にある管理者へ説明し、了承を得る(経験上、管理する立場の人が必要以上に多すぎて、無駄に多い管理者のために行う仕事が多かった。無価値な管理者向けの仕事なので全て無価値)。

 

仕事全体のレベル

  • どうでもいい状況を「解決すべき問題」として無理やり設定し、その問題を解決するためのプロジェクトが始まってしまう。企画部門の人間が自分の成果のために無駄なプロジェクトを始めたり、本当は週5日間もやることなんかないのにそれだとサボってるように見えてしまうので、部門の責任者が無理やり仕事を作ったり。
  • 解決すべき問題であることは確かに認めるけど、その問題解決にはならない明後日の方向への解決策を実行するプロジェクトがもう始まってしまっており、やめられない。

など。

 

僕は日本人の一般的な気質と比較すると、割と空気を読まず自分が思ったことを言うタイプの人間なので、具体的なタスクレベルで無価値だと思った際は「この作業って意味ないのでは? やらなくていいですよね」と処理することが多かった。

あるいはサボっていた。価値がないので実はサボっても影響が出ない。

でも仕事全体のレベルで価値がないと思う状況な場合「そもそもこのプロジェクトって無駄じゃないですか? 無価値じゃないですか? やるだけ時間の無駄ですよ」とはなかなか言えない。

自分が企画立ち上げ段階から入っているのならもちろん言えるけど、もう大勢を巻き込んで走ってるプロジェクトに途中から入る場合は厳しいものがある。

良い歳した大人たちが大勢で組織を作り、金と時間を使いながら一生懸命やってるわけだから。そこに対して「意味ないですこれw 無価値ですww」とはさすがの僕でも言えなかった。

 

でも、これは単なる感覚だけど、僕以外にも「この仕事って何の価値もないのでは?」と内心で思ってた人はたくさんいた気がする。

タスクレベルでも、仕事全体のレベルに対しても。

なぜそう思うかというと、そういう雰囲気を感じるというほかない。

ハッキリと「この仕事は無価値だ」と認識してるわけではないけど、無意識化でモヤモヤとそんなことを感じるぐらいな人を含めれば、7割ぐらいの人はそう感じてたんじゃないかって気すらする。

自覚の度合いに差はあれど、7割が「この仕事ってもう何もかも無価値なのでは。やるだけ無駄なのでは」と思ってるけど、その無価値さは言ってはいけない暗黙の了解がある。だから皆内心を隠して価値ある仕事に前向きに取り組んでるかのような演技をしている。そんな茶番な雰囲気を僕は第六感で感じていた。

 

こういう状況は色々な意味でしんどかった。

  • 無価値なことをやらされる辛さ
  • 価値がある事へ前向きに取り組んでるフリをする辛さ
  • 大勢がそんなフリをしている茶番の雰囲気を感じながらその場にいる辛さ

これら複数の辛さが混然一体となって僕に襲い掛かってきて、「僕は一体、一度きりの人生で何をやってるのだろうか……」という虚無感を生じさせてくる。

 

僕は良くも悪くも人から何かを言われたとき、鵜呑みにせず批判的な思考から入るクセがある。

「本当にそうなのか?」「何か意図があってそう言ってるだけなのでは?」「根拠がある話なのか?」など。嫌な奴だよなあ……。

だから、何か仕事をやれと言われたときは、背景、目的、今それを自分がやるべき理由をいちいち確認し、それらに納得できない限りその仕事をやることに対して心が拒否してくる。

だから尚更、価値ない仕事を価値あるかのように取り繕ってやる状況が本当に嫌だった。

よく13年間も続けてこれたなと我ながら感心する。

ごねたり、転職したり、無理やり理屈をつけて自分を納得させたり(仕事それ自体には価値がないけど、それをやることで自分の能力アップには役立つのだ、とか)で、出来る限り、価値があると思える仕事をやれる状態に寄せていったけど、そういうことをしていくのもいい加減にウンザリした。

 

なぜ価値のない仕事ばかり生まれるのか

「いかに効率的に資本を使い金を儲けるか」が至上命題であるはずの資本主義において、なぜこうも無価値な仕事ばかりが組織の中で発生するのだろう?

その疑問にある程度答えてくれる本がある。

ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるのか

一通り読んで、納得できた部分もあれば、あまり理解が及ばなかった部分もある。

この本の内容を紹介しようとするとまた長くなるので今回は割愛するけど、気になる人は読んでみるのもいいと思う。

僕なりの、「いかに効率的に資本を使い金を儲けるか」が至上命題であるはずの資本主義において、なぜこうも無価値な仕事ばかりが組織の中で発生するのだろう? に対する見解を1つ言うなら、「週5日働くことになってるから」というのは確実にあると思ってる。

本当にやる必要がある、価値ある仕事だけをやってたら、実はエッセンシャルワーク(社会維持に必要不可欠な仕事)を除くと週5日間も朝から晩まで仕事なんてやることがない。

でも今の雇用形態はフルタイムにおいては週5日間、月20日間、月160時間という時間を経営者が労働者から買い、その時間を使ってビジネスを行う形になっている。

そうなると、月160時間分も実はやることが無かったとして、遊ばせておくと無駄なコストを払っている気がしてくるから、経営者としては何かをやらせたい。

だから「仕事時間中は常に何かしらの仕事をやらないといけないのだ」という事にして、無理やりにでも仕事を作って何かをやらせたり、形骸化している管理者を置いたりしている。

そういう原因はあると思える。

ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるのか』にも似たようなことが指摘されていたし、本の中には他の要因も色々書かれている。

 

まとめ

  • 週5日間も朝から晩まで時間、場所、やることを束縛されると人生を支配されてしまう。単なるお金稼ぎの労働に人生を支配されるのが嫌だった。
  • 興味ないし価値もない仕事を、価値があることに前向きに取り組んでるフリをすること。そして多くがそういう演技をしている茶番な環境にいることも嫌だった。

 

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