「FIRE」にこだわらず、好きにするのがいいと思います

以下理解で書きます。

自分はFIREしたけど、FIREして社会から離脱したいなんて考えない社交性のある人間に生まれたかったと思ってしまうし、そういう人が羨ましいとも思ってしまう。そんな自分をどう思う? バカだと思う? 変だと思う? というご質問。

 

特に何も思わないです。普通の人間心理だと思います。

自分とは違うタイプの人を羨ましく思う感情は普遍的なものですからね。あるいは、何かを自分で選択したにも関わらず、それ以外の選択を羨ましく思うなど。

隣の芝生が青く見えるってやつ。僕の中にもそういう心理はあります。

自分とは違う人や選択を羨ましく思うときはありつつ、でもトータルで考えたら自分はこれでいいのだと思えるならそれで十分です。

もしそう思えなくて羨ましさのほうが勝るなら、FIREなんて辞めて自分の出来る範囲で社会と関わりながら生きていくほうがいいとは思いますが。

別に大勢でワイワイする必要なんかなくて、自分に出来ることをやり、その活動を通して自分にとって丁度良い距離感で他者・社会と関わっていける形を模索していくなど。

 

FIREってここ5年か6年ぐらいで耳にするようになりましたけど、大半の人にとってはFIRE(経済的に上がって早期引退する)なんてするより何かしら仕事はしてたほうがいいと僕は思ってます。

ここでいう「仕事」は、誰かに雇用されて時間を買い取られ、理不尽な扱いを受けながら興味ないし価値も感じない労働をすることを指しているのではなく、自分なりにやれること、やりたいことをやって社会と繋がるっていう広い意味で言ってます。

僕はなぜかFIREした人という認識を持たれがちですが、FIREしてないし、したいとも思ってないです。むしろ、どちらかというとFIRE否定派ですらあります。

経済的に上がるのは出来るに越したことはないのでFIは羨ましいけど、RE(早期引退)は、それをしても日々が物足りなくなり充実感が薄れ、孤独も辛くなる人が大半だと思います。

すごく打ち込んでる趣味があり、自分はその趣味をやってるだけでもう幸せなのだと思えるとかなら別ですが。

自分自身、そうなったことを過去に実体験済みです。

早期引退したわけではないものの、会社を辞めてからしばらくは、労働で疲れていたので、貯金を食いつぶしながら完全無職状態でアニメ観たり散歩したりゴロゴロしていたら、半年間で孤独が辛くなりました。

今は、自分なりにやれることをやってるつもりです。こうして文章を書いたり、動画を作ったり。

YouTubeなんて3チャンネルも持ってますからね。作って更新してたけど違うと思って消したチャンネルは5個ぐらいあります。

 

もし他者への羨ましさや寂しさが強いのなら、FIREなんて概念は忘れて、自分にとって適切な距離感で他者や社会と付き合っていける形を模索するのがいいと思います。

寂しさは感じつつ、総論では納得できるなら今のままでいいと思います。

本来は口出しするような話ではありませんが、ご質問いただいたので恐縮ながら僕の考えを書きました。ご質問者様のお好きにしてもらえれば幸いです。

以上です。ご質問ありがとうございました。

 

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