ダウンシフター(減速生活者)という表現が気に入ったので共有します

最近、『減速して生きる―ダウンシフターズ』という本を読んだ。

加筆した文庫版も出ているらしい。

この本を読んで「俺ってダウンシフター(減速生活者)だったのか」という気付きを得た。

ダウンシフターとは何かというと、wikipediaにいい感じにまとまっていたので引用する。

 

ダウンシフトとは

ダウンシフト英語Downshifting)とは、生活様式に関する社会的な潮流・傾向の一つである。過度な出世競争や長時間労働、物質主義的、唯物的な生活環境を日常から排し、よりゆとりのあるストレスの少ない生活に切り替える生活態度の劇的な変化を指し、また、そうした生活態度は減速生活と言われる。

邦書では『浪費するアメリカ人』(2000年,ジュリエット・B. ショア著)の中でこうした生活態度の変化をとったダウンシフター(減速生活者)についてはじめて紹介された。

概要

上述の『浪費するアメリカ人』の中で著者は、顕示的消費や通常の収入で許容できる範囲を越えた奢侈のためにより多くの時間を労働に費やすようになった90年代のアメリカ人の傾向について紹介した上で、そうした過剰労働/過剰消費を繰り返す「労働消費の悪循環」を断ち切る新たな潮流として減速生活を紹介している。 彼らは生活レベルが下がることを厭わず自発的に労働時間を減らし、減った収入の中から可能な範囲の消費活動を行うようになる。こうした変化によって得られるものは何よりも余暇である。余暇が増えることによって、より多くの家族との時間を獲得でき、また生計の手段としての労働以外の活動により時間を割くことが可能となる。 特筆すべきは、高所得者層に限らずより広い階層にこうした傾向があらわれている点だと著者は指摘している。

以上、wikipediaからの引用

 

wikipediaで紹介されている『浪費するアメリカ人』も気になる。図書館で検索したらあったので借りて読もうと思う。

 

上記引用で言ってることって、そのまんま僕のことじゃないか。つまり僕ってダウンシフターだったのか。

自分の選択したライフスタイルをピンポイントに表現してくれる言葉が、20年以上も前に既に作られていたとは、知らなかった。

巷でよく言われている「セミリタイア」や「FIRE」は自分の中でピンとこない部分が多いのだけど、「減速生活者」だとシックリ来る。

僕は別にリタイア(引退)したわけではないんだよな。日々が過剰に忙しすぎて、人生にとって本当に大切なものを蔑ろにしてしまっている状況を自覚したので生き方を再調整(この場合は減速)しただけだ。まさに減速生活者。

今日から「ダウンシフターすずひら」を名乗ることに決めた。断言する。でもやっぱり恥ずかしいからやめた。

 

主に東京で年収600万~700万円(残業代含む)で正社員としてサラリーマンをしていたけど、本当に忙しかった。

残業時間はピークで80時間。でも平均すると月20時間前後程度ではあった。

それでも僕にとってはすごく忙しく感じた。月20時間の残業が「まあ普通だよね」みたいな位置づけになる世の中が狂ってるとすら思える。

週7日間のうち5日間も朝から晩まで他人の事業への労働力提供に時間を奪われる。そしてその時間では会社や上司やクライアントに振り回される。ウンザリだ。

でもその対価として年収600万円以上もの金を稼げるわけだ。独身でもあったから、金には余裕がある。

車を買い、毎日外食して、たくさんの服を買い、家賃の高い家に住み、アニメのBDやゲームソフトや本を次々と買った。65インチテレビとトールボーイスピーカーを使ってそれら作品を楽しめる環境も家にあった。

でも、ちっとも満たされなかった。だって、もう忙しくて、仕事のストレスも大きくて、心の平穏がないんだもん。

「また明日から会社かよ……」と頭の片隅で嘆きながら、綺麗な家にて大きなテレビと良い音で好きなアニメを観たり、ドライブしたり、外食したりしていた。

そうして遊んでいることそれ自体はそれなりに楽しい面もあったけど、やっぱり満たされなかった。

会社や他人に振り回されながら嫌いな仕事をして過剰に稼ぎ、ストレス発散のための過剰な消費をして、消費してしまう分だけ稼ぐ必要があるので嫌いな仕事を継続し、ストレス発散のための消費もし続ける。

まさに引用元に書いてある「労働と消費の悪循環」に陥っていた。昔の僕はそんな状態だった。

でも会社を辞めて無職になったり、再就職したけどまた辞めて再度無職になったり、再々就職したけど今度は休職したりという経験を経るにつれ、徐々に自らの生活が過剰であることに気付いていった。

無職期間中や休職期間中に、ドライブではなくただ街を散歩してるだけで「面白いな。これでいいじゃん」と思えたり、大画面で最新ハードで最新ゲームをしなくても携帯ゲーム機で1000円で買ったインディーゲームやレトロゲームでも十分に面白い体験をすることで、こんなに物は必要ないと気付けた。

で、物を減らしてミニマリストっぽくなったり、消費を見直すことで過剰消費はある程度改善できた。

一方で過剰労働はまだ続いた。やはり収入を減らすのって怖い事ではあるから。

でも過剰労働している間に、僕は親との死別を経験した。

親との死別の時すら、たかが会社の仕事に振り回されてる自分がそこにいて、それに対していい加減に嫌気が差した。

この辺りの話は以下記事にて書いている。

 

そんな経験を経て、もう収入を大幅に減らしてでも過剰労働にもメスを入れることにした。

具体的には以下のようなことをした。

  • 会社を辞めて安定的な年収600万円以上の収入を手放す。フルタイム正社員を辞めない限り過剰労働は解消できない。
  • 生活費を減らす(辞める直前で既に過剰消費を改めることで月に約15万円ぐらいだったけど、月10万円以下にまで減らす)
  • 生活費を減らすために、ほぼ未経験だった自炊を覚える
  • 家賃を減らすために地方へ移住する(移住の目的は他にもあるけど、家賃を減らしたい点も大きな理由の1つ)
  • ブログと動画で発信して広告収入を得られるようにする
  • 過剰労働で貯めたお金は使うのではなく運用する
  • 不足する生活費はバイトで単純作業でもしてカバーする

 

減速生活者になってから今で1年10か月目。

月1~3万円のお小遣いレベルな広告収入と、株式投資の確定益と、不足分だけ短期でバイトしてカバーする方針で生計を立てており、ここまで収支はほぼトントン。株の評価益分で評価額としては微増すらしている。

 

引用元では「生活レベルが下がることを厭わず自発的に労働時間を減らし」とあるけど、それは生活レベルの定義によるだろう。

確かに、世間一般の価値基準で見た生活レベルは下がっている。でも主観的な価値基準で見た生活レベルはむしろ上がっている。僕自身はそう感じている。

忙しくてイライラしていて好きなことに没頭できない日々から、今は毎日子供のように趣味で遊んでいる。

これを書いている現時点では、ニンテンドースイッチで250円で買ったパズルゲームに没頭したり、900円で買ったノベルゲームにのめり込んでいる。

あと移住した札幌の綺麗な街を毎日のように散歩してのんびりした時間も過ごしている。

気軽に遊べる知り合いも移住先でできて、一緒に自炊して家でご飯を食べたりもしている。

本はほぼ図書館で借りて読んでいる。冒頭で紹介した『減速して生きる―ダウンシフターズ』も借りて読んだ。

多忙なサラリーマン時代と比べて生活レベルは主観的には格段に上がっている。日々に対する納得感がある。自分で選択したライフスタイルを実践し、世間体から離脱して好き勝手にこの世を楽しめている。

 

あくまで感覚だけど、世の中には実はたくさんの、減速して生きたほうが幸せになれる人々がいるような気がする。

世間体、先入観、常識に囚われているせいで、過剰労働・過剰消費な現代の資本主義で苦しんでるんじゃないだろうか。

10人に1人ぐらいはそういう人がいそうだ。

そういう勝手な感覚があるから、自分の中での整理も兼ねつつ、ブログや動画で自分のライフスタイルを1つのサンプルとして発信したりしている。

今の資本主義社会ってもう本当に過剰だとつくづく思っているから、その社会のペースにまともに合わせてあげることを僕は放棄した。

資本主義をもはやボイコットしている。「もっと稼ごう。もっと成長しよう」みたいなの、もういいです。僕はゆるくマイペースに好き勝手にやらせてもらいます。みたいな思考で生きている。

 

動画版

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