「生活のための手段である労働が生活の目的化してしまう」という現代社会に生きる庶民が遭遇する大問題をどうにかしたい気持ちが強い

「一体私は何のためにこんなに働いているのだろうか……」という疑問に苛まれながらも惰性で虚無的に働き続けている人が今の社会にはたくさんいると思う。
僕もサラリーマンの頃はそうだった。

自分の経験を振り返って思う。
こういう状態に陥るのは当然だよなって。
生活の手段として仕方なくサラリーマン労働をしているだけなのに、その労働を週5日間も朝から晩までやることで労働が生活の中心になる。
そして生活の中心になるとはつまり、生活の目的化しているとも表現できる。

つまり、本来は生活の手段に過ぎないはずの労働が、働きすぎによって生活の目的化してしまう。

そうなれば「何のために働いているのか?」への答えは「働くために働いている」となる。目的化しているので。

でも本来はやっぱり労働は手段なわけだから、働くために働いている状態は苦しい、辛い。
しかしどうすればこの状態から抜け出せばいいのかわからない。
もう考えてもしょうがない。
結果、虚無的に惰性で現状維持となる。

この問題は現代日本社会で多くの庶民が意図的にハマらされてる罠だと思っている。
でも罠を仕掛けた人間・社会を糾弾してても仕方がない。
庶民としては、個人で抜け出していくしかない。

ではどう抜け出せばいいのか。
そんな大それたことを端的にズバッと他者へ伝授することは僕には無理だけど、自分の経験を振り返りながら日々考えてはいる。
「資産を貯めて投資して早期リタイアだ」とか「独立して開業だ」とか、それらももちろん具体的選択肢の1つではあるのだけど、もっと根本的な部分から考えたくて、考えている。
その考えを表現するには数万文字が必要なので、本としていずれ出したい。おわり。