「両親が他界して貯金も尽きたら後追いでも良いと思ってます。この考えは異常ですか?」質問回答

 

異常かどうかはわかりませんけど、僕は全く共感できません。

以前に以下の記事でも似た質問をもらい、自分の考えを書いてます。

yukikei.com

 

改めて書きます。

ハッキリ言ってしまうと、「貯金が尽きたら終わりでいい」という人に対しては、自分の人生およびその周辺の半径3mにしか興味がない視野が狭い人だなぐらいの感想しかないです。

自意識過剰だなとも思っちゃいます正直。すみません。

世の中には自分の人生のはるか遠くに面白いものがたくさんあるのに、親のことや「自分の生きる意味」ばかりが頭の中を占めている感覚が僕には理解不能です。

 

僕の場合、今後貯金が尽きたりそれ以外の何かしらも起きたりして自分の人生に絶望したとして、自分の人生とはまた別の観点で世界が今後どうなっていくのかは気になって仕方がないです。

原子力の次を担う次世代エネルギーが実用化される世界を見たいし、AIの進化により大半の労働から解放された後の庶民のライフスタイルも知りたいし、VR,AR,5Gなどの技術が組み合わさりもはやどこまでが現実でどこからがサイバー空間なのか区別がなくなっていく世界も見たいです。

こういう大きな話に比べたら自分1人の人生なんて取るに足らないので、自分の人生に関してはせいぜい健康を最優先にしながら日々なるべく好きなことして生存していたい程度の関心です。

 

また「自分の生きる意味がイマイチ見出せず」とのことですけど、70億匹も生息しているホモサピエンスの中の1匹になんて、別に生きる意味はないですよ。

もちろん僕も70億の中の1匹なので、生きてる意味なんてないです。生まれたので生きてるだけです。

僕なんて人類全体から見たら道端の石ころです。さらに言うと宇宙から見たらもはや無です。存在を知覚すらされません。

たかが1匹の有機生命体にすぎないので、生きる意味なんてそもそも存在しません。地球環境の中で偶然に偶然が重なって発生した存在にすぎません。そこに意味はありません。

 

一匹の有機生命体として日々を好きに生きつつ、70億全体で見るとなかなか興味深い生態をしている人類文明を眺めて楽しんでるのが僕のスタンスです。

その程度でいいんじゃないでしょうか。

もっと肩の力抜いて、自分の外に目を向けて、相対的に自分の存在を小さく知覚したほうが生きやすくなると思います。

 

最後に、もう一つの質問にも回答します。

僕が会社を辞めたり札幌へ移住したのは、母との死別が間接的な理由です。

死別により人間の人生というもののあっけなさを痛感した結果、生き方に対する考え方を改めて、ストレスを貯めながらクソみたいな社畜労働に時間を使うのはもうやめて好きにすることにしました。その結果の退職と移住です。

もしかしたら「親がいなくなったから後追い」の考え方に近い自暴自棄的な退職と移住と想像されてるのかもしれませんが、全く違います。

そのうち死ぬ小さな生命体に過ぎないのにクソみたいなしがらみの中で毎日労働でストレスを溜めて寿命を縮めるのではなく、生命本来の自由を享受しながら伸び伸びと好きに生きて長生きしたいという発想です。

この辺りの話は以下記事にて詳細に書いております。

yukikei.com

 

以上です。

 

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