常々思ってる。仕事しない日こそ「平日」と呼ぶべきだよなって。
なぜかというと、仕事のために生きているわけではなくて、仕事はあくまで生活の手段にすぎないからだ。
生活を営んでいくためにはある程度のお金はどうしても必要であり、そのお金を稼ぐ手段として仕事をするだけだ。
そんな手段に過ぎない仕事をする日は「勤労日」であり、仕事しない日こそ「平日」と呼ぶのに相応しい。
世の中は、生活の手段に過ぎない仕事をする日が「平日」で、仕事をしない日は「休日」と呼称するけど、そんなんでいいのか?
そうやって呼ぶと、仕事するために生活しているみたいな印象になってしまうじゃないか。
いいのか?本当にそんなことで。
言葉って大事だ。
言葉によって思考は作られる。つまり言葉によって思考は影響を受ける。
だから仕事する日を「平日」、しない日を「休日」と呼んでいると、深層心理へ
- 仕事が生活の中心。仕事する日が通常。
- 仕事しない日は仕事の疲れを取るために休む日。
みたいな無意識が刷り込まれてしまうと思う。
そんなの嫌でしょう、仕事が自分のやりたい事と直結しているような0.1%の人以外は。
生活のために仕方なく仕事をしている僕含めた99.9%の庶民は、「平日」と「休日」の使い方を改めたほうがいい。
仕事しない日が「平日」、仕事する日は「勤労日」な意識に切り替えたほうが、のんびり気楽に生きられると思う。
仕事で自己実現とか、真面目に働かないといけないとか、そういう仕事中心主義なモラルが今の社会にはあるけど、そんなの資本家が労働者を都合よく使うための詭弁でしかない。
そんな詭弁を真に受けて「週5日もある平日は働く日。休日は仕事しない日」とか「何か仕事をしないといけないんだ」とか考えても仕方がない。
仕事中心主義な考え方なんて世の支配階級からの刷り込みでしかないから、そんな考え方なんて捨てちゃっても別にいい。
労働者へ刷り込む手段として、仕事する日を平日と呼ぶことにもしたんだと思う。労働者から搾取する偉い人たちが。
まあ、仕事中心主義な考え方も、そのうち自然に変わっていくと思う。
AIや高性能ロボットの進化によって人間がやる必要のある仕事が減っていき、強制的に週5日も働くだけの仕事が無くなっていくだろうから。
そんな近い将来を今のうちに先取りしておき、将来に備えるのも良いと思う。
仕事を頑張るのではなく、仕事中心な考え方から切り替えることが将来への備えになる時代。
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