人間が幸福に生きていける環境から遠ざかる現代日本社会

最近、「人間が幸福に生きていくのに大切なことって何なのだろう」と考えることが多い。一度しかない無常な人生を現在進行形で生きている人間である僕としては、大切な問いだからだ。

まあ、それにも関わらず、38年間も生きてきたクセに、未だにこの問いに対する明確な回答を持っていないのだけど。

深く考え始めると収拾がつかなくなるんだよな。

  • そもそも人間とは何か
  • 時代、国、宗教、個人の価値観によって幸福の意味は大きく異なるのではないか

みたいな思考に発展していく間に収集がつかなくなり、「もういいや、寝よう」となる。寝てる間に38歳になっていた。

このまま人生が終わってしまう前に、いい加減にそろそろこの問いについて真面目に考えたいと思っている今日この頃なので、最近は毎日ぼんやりと考えている。

時代、国、宗教、個人の価値観によって幸福観は確かに違うけど、自分および自分の思う現代日本人の多くにとっての幸福に範囲を限定して考えている。

 

現時点の考え

現時点で2つ、結論に近い考えを持っている。それが以下。

  1. 必要十分な衣食住、十分な睡眠、信頼しあえて支えあえる他者、自発的に取り組みたいと思える活動に取り組みそれを通して他者と繋がる を満たせれば現代日本人の多くは幸福になれるのではないか。
  2. 今の現代日本社会は「金を稼ぐ」「稼いだ金を使って物やサービスを手に入れる」が正しい生活である的な風潮があるけど、幸福観と照らすと、その生活は幸福になるどころかむしろ逆行している。

 

この2つについて、今考えていることを書いていく。

 

1.幸福観

上述した内容に、客観的な根拠なんてない。1人の現代日本社会に生きる現代日本人の印象論に過ぎない。

でも、「これも幸福に生きるには必要だろう」「ここまでは必要ない」みたいな意見はあるだろうけど、そういう細かい部分は置いといて、方向性のレベルでは多くの人が、よくよく考えれば概ね同意できるのではないかと思う。資本主義にどっぷり浸かり、そこに適応完了している人でもない限り。

美味しい物をたくさん食べる、豪華な家に住む、オシャレをする、仕事で成功する、的なものも幸福に影響はするだろうけど、それは枝葉の部分に思える。

 

僕自身はもちろんこういう幸福観を持っていて、だからそれを満たすことを考えながら行動している。で、ミニマムなサイズでありながら既に満たせてもいる。

特別な要素は特にないので、今の社会の「常識」に疑問を呈し、従わず、自分の思う幸福観に沿った生活をしていけば、案外と満たせる。簡単とは言わないけど、多くの一般人が十分に実現可能な範囲だ。

まだまだ色々と経験したいことがあるし、試したいライフスタイルもあるし、現在取組中の個人プロジェクトもあるので、幸福観から外れないようにしながら日々色々とやっていきたい。

 

ところで、僕って「労働はクソ」「仕事なんかせず一生のんびりしていたりアニメを観ていたい」「一生孤独でok」的な人だと思われがちで、その理解から見ると書いてきてるような幸福観とは噛み合わないだろう。

でも、そもそも僕って「労働はクソ」「仕事なんかせず一生のんびりしていたりアニメを観ていたい」「一生孤独でok」とは全然思ってない人間なんだよな。そうではなくて、上記の幸福観に基づいてる人間なのが実態。

この誤解をちゃんと解きたい気持ちはありつつ、無理だろうなと諦めてもいる。

多分「質素な生活10年分ぐらいの貯金はある状態で会社を辞めたアラフォー独身男性」「性格がひねくれていて世間に迎合できない」「生活費が低い」「のんびりしてる」などの要素により、「貧乏独身セミリタイア勢」のカテゴリに入れられて、そのカテゴリの特徴をそのまま当てはめられるのだと思う。僕自身はそのカテゴリに何の共感もしていないのだけど。

一見すると近いようなことを言ってるようで実はだいぶ遠いことを言ってるつもりなのだけど、そんなことまでなかなか伝わらないもので、伝えるって難しい。

まあとにかく、僕は上記のような幸福観を持っているし、多くの現代日本人にとっても、多少の違いはありつつも、概ねで似たようなものなのではないかという印象。

 

2.幸福から遠ざかる現代日本社会

こういう幸福観を踏まえながら今の日本社会の現状を考えていくと、もう絶望的な気分になってくる。幸福に繋がらないどころかマイナスな影響すらあるライフスタイルが「現代人の正しい生活」みたいな風潮になっているのだから。

 

現代人の正しい生活

  • とにかく金を稼ぐ
  • 金を使って生活に必要な物やサービスを手に入れる
  • 金を使って遊ぶ

以上。

これが実情。ヤバすぎないか、これ。物質的な面では豊かすぎて物に溢れかえっているけど、それ以外の面が完全に置き去りにされている。

多くの庶民の場合、金を稼ぐための労働に生活を支配され、それによって必要十分な衣食住は確保できるかもしれないけど、時間的余裕も精神的余裕もなくなることで、十分な睡眠をとれず、仲間を作る余裕もなく、自発的な活動なんかは発想すらできない。金を得るための労働だけで精一杯になる。

そうなる原因は、以下のような複数要因が絡み合っていると思っている。

  • 賃金は上がらないのに物価は上がる社会。
  • 金を稼ぎ、金を使って生活することそれ自体が生活の目的化しているので、「どれだけ金を稼ぐか」「どれだけ高価な物を保有するか」で見栄を張りあい、そのために必要以上に稼ぎ、必要以上に使う。
  • 金を稼ぎ、金を使って生活することそれ自体が生活の目的化しているので、「これだけ稼げば十分だから、その分しか仕事をしない」という発想になりにくい。
  • 仕事量を減らす発想に至ったとしても、減らしにくい。フルタイム社員で月収20万円or週3バイトで月収10万円、みたいな選択肢ばかり。週3社員で月収15万円みたいな臨機応変なことが非常にやりにくい労働環境。
  • 別にあってもなくても幸福には何の影響もしないけど、便利ではあるから欲しい程度のものに金を使うので、その分稼がないといけなくなる。

 

他にも色々な要因が書けそう。とにかく、複数の要因が絡み合っている。もはや解決は不可能なのではないかと思えるほど。

まず第一に資本主義である限り金儲け至上主義は終わらないので、資本主義を続ける限りどうにもならない。そして資本主義を辞める(あるいは管理度を強める)対策なんて今の日本が実行できるはずがない。終了。

ならせめて今の日本の資本主義社会で金を多く持ったら幸せになれるのかというと、必要十分な衣食住を満たす程度の金なんてたかが知れてるし、金の力で仲間を作れるわけではないし、金の力で自発的活動が見つかるわけでもない。

仲間も自発的活動も、金の力ではなく人間的な精神の力と行動の力こそが重要になる。

多くの金を持ち、金で手に入る物なら何でも手に入る生活。それが人間として幸福なのかというと、当然そんな立場になったことがないので想像するしかないけど、それだけだと虚しいだろうなとは想像できる。

たまたま投資で成功して10億円持ってるけど信頼できる仲間が誰もいなくて孤独で、取り組みたい活動も何もないより、貯金なんて10万しかないけど仲間と毎日楽しく過ごせて、やりがいや達成感、生きる意味みたいなものを与えてくれる活動もしているほうが普通に幸せに思える。

別に僻みでもなんでもなく、そうじゃないですか? 

 

どうすればいいのか

社会がどう変われば幸福観に沿った生活を庶民が送れるようになるのかを考えていくと、江戸時代がヒントになるように思えている。

江戸時代って「鎖国」「士農工商のカースト制度」「寿命30歳、盲腸で死ぬ」みたいな悪いイメージがある。

でも鎖国は「国益に害があると判断した国とは付き合わない」だし、士農工商は武士以外は序列というより役割分担だし、寿命30歳は事実かどうか調べてないけど事実だとして、それで=不幸とも限らない。

長く生きれば幸せなのかっていう根本的な疑問がある。「長く生きることが良いことだ」という現代日本社会の何となくの価値観で江戸時代の人々の幸福は測れないし、それ以前に現代日本社会であっても、改めて考えると長生き=幸福だなんて全く思えない。

案外、日本人の庶民にとっては、現代より江戸時代のほうが幸せだったんじゃないかなあ……。

まあ、今の僕が江戸時代に片道切符で移住できる権利を得たとして、移住したいかというとしたくないけど。さすがに不便すぎるし盲腸で死にたくないし、職業選択の自由がほしい。農業をするのはいいとして、それを強制されたくない。僕はもう現代日本社会の基準を知ってしまったので、今さら江戸時代には戻れない。

でも仁先生は、カップラーメンを食べながら無機質なコンクリートのビル内で激務な医者をしてる現代より、咲さんの和な手料理を食べ、大自然にも囲まれながら、自分の使命に尽力していく江戸時代の日々のほうが幸福そうに見えたよ僕には。

別に江戸時代を賛美してるわけではない。ただ、ヒントがあるとは思っている。

  • 利便性ばかり追求するのではなく、日本人が受け継いできた自然、伝統、文化と一体化しながら生活を送る。
  • とにかく金を稼げばいい資本主義ではなく、人間の幸福な生活に必要な物を職人が自尊心を持ちながら作る。
  • 付き合う国と付き合わない国を厳密に選別して、外国の価値観に支配されないようにする。日本には日本の価値観があるのだから。
  • 政治のことなんて考える能力のない庶民には政治を動かす権力を与えない。莫大な金を持ってるけど自分の快楽ばかり考えてる奴が政治に介入する回路も作らない。道徳心、国家観を持ってる賢い人だけで政治を行う。

など。どれも今さら実行は不可能だが。

 

もし明治維新なんていう急激な改革をしなくても独立を維持できて、その後アメリカとも戦争をしていなくて、江戸時代をベースに改善を続けていった社会に今の日本がなっていたとしたら、経済規模は小さくてもやたらと国民が毎日楽しそうで、独自の文化も花開きまくってる、これぞまさに人間の精神が育んだ文化的社会であるって思える社会になってたかもしれない。

道徳と国家観を持った賢い人が政治を動かしていて、庶民やただ金を持ってるだけの人がバカな口を挟まないので、やるべきことを淡々とやっていて、核武装して国防も万全。武士の精神が受け継がれていて「日本に侵攻したらヤバいことになる」と恐れられて中立を保つ、管理貿易を続ける極東の島国。かっけえ……。

そしたら僕も「生きる意味とは」とか「幸福とは」なんていちいち考える必要もなく、尊敬できる国の一員として自分の役割を果たしてるだけで、概ね満足できる生を全う出来たと思う。

まあ、そんな国の存在は欧米の価値観が許してくれなくて、日本は負けたからこその今なのだけど。

現実は、強引に欧米の資本主義と民主主義と中央集権を取り入れて(それが倫理的に正しいと当時の日本人が判断したのではなく、軍事力強化をして独立を保つための手段として有効だったため)どうにか欧米に100年は対抗したものの、1945年にアメリカに叩きのめされて、以降はアメリカの都合が良いように資本主義を構造改革していき、この有様。

改革するのは簡単。民主主義なので庶民を上手い話で騙して完了。

メディアが作る「刺客」「自民党をぶっ壊す」「改革」の熱狂に乗って郵政民営化に賛成した人って、どうせ誰もその結果がどうなったかなんて振り返ってないのだろう。

僕は郵政民営化だけが争点にされた選挙が行われたときに20歳を迎えて、投票権を得た。当時は今の1/10も社会のことを理解してなかったけど、それでも、大人たちが「郵政を民営化するという具体的な意味」「郵政を民営化することで得をするのは誰なのか」なんて全然考えずにテレビの作る雰囲気に流されるまま国家を動かす権力を行使しようとしてることは理解できて、民主主義とはメディア独裁だと理解して、実は今まで一度も投票したことがない。

こういうことを書くと世間からは「せめて自分の意見に少しでも近い人に投票するべき」とか「立候補すべき」と言われるのだけど(実際に言われたことあり。複数)、そう言われても投票に足が向かないし立候補なんて全くやる気にもならないのが僕の実態だ。

「民主主義≒メディアを支配できる金を持った人間の専制政治なので、その制度内で何かしようとしても無駄。だから参加する気にならない」という考えに染まっている。

「民主主義でもメディアが誘導している方向と違う意見だって通るのだ」という主張をしてもらえたら投票したくなるかもしれない。立候補はありえないけど。立候補なんてしたら、民主主義という茶番によるストレスで禿げ上がると思う。

「1票の価値は重い」みたいな言葉を聞いたこともあるけど、今の日本の選挙制度の現実を現実のまま見れば、「自分の1票には何の影響力もない」ともわかる。結果に対して何の影響力もない1票なんて投じてる暇があるなら、自分の考えでも発信してる方がマシだ。時間は有限、精神力も有限なので。という思考にも染まってる。

 

雰囲気に乗って郵政民営化に賛成してその後どうなったのか考えもしない庶民を責める気持ちはない。僕含めて庶民なんてそんなもんだから。国家規模の政策なんて知らんよ。判断できない。そんな庶民に権力を委ねる制度自体がおかしい。

「なら独裁がいいのか」みたいにいう人がいるのだけど、独裁って概ね民主主義の結果から生まれてるし、独裁=悪でもないし、欧米はもういいから江戸時代を見ようといいたい。キリスト教に頼らないとどうにもならなかった程度の民度な社会をなんで見本にするのかが全然わからない。江戸時代の日本のほうがよほど人間社会として成熟してたんじゃないの。

 

日本が辿った「欧米を取り入れ、欧米に敗北」した歴史の結果、今の日本は、日本人にとって、幸福に生きていける環境から遠ざかっている。

おそらくDNAのレベルで受け継いでる日本人本来の価値観と、欧米から取り入れた資本主義と民主主義の価値観がバッティングしている。そのせいで、いちいち幸福云々について考えていかないと生活が立ち行かない。生きている社会が物理的には過剰なまでに満たされている一方で精神的には荒廃しているので、物理をどけつつ精神は自力で補う必要がある。

やたらと大正時代の高等遊民が言ってることに共感できるのだけど、置かれてる状況が似てるからなのだろう。

これについて色々書こうと思ったけど、それだけで1万文字ぐらい書きたくなりそうなので今日はやめた。

 

話が大きくなり過ぎたので個人レベルに戻す。

個人ができることとしては、各人が生活環境と照らしながら、出来る範囲でも幸福観に沿った生活へ調整していくことだけだ。

僕の場合、以下のようなことをした。

  • 【前提】今のおかしな社会を土台にした世間体とか見栄は一切無視する
  • 幸福に生きる上で必要ないことに金を使わない
  • 金を稼ぐだけの目的で行う労働は必要最低限しかしない
  • 家族、友達、その他大切に思う人を大切にする
  • やりたいこと、やれる活動に取り組む
  • 寝れるだけ寝る(最近寒いので毎日9時間ぐらい寝てる)

 

マクロな目線で置かれた環境を分析しながら、ミクロな目線で個人ができることをやるしかない。やってこう。

 

今回は、今まで意図的に書かなかったようなことまで含めて書いてきた。

「こういうこと書いても理解してくれる人は少ないだろう」と思ってあまり発信してこなかったことを書いてきた。

最近、色々と考えが変わってきている。

「もう今の日本社会は絶望的に終わってるので、無視して、中国に占領されて自由を失うまで、自分自身の人生の幸福を追求しよう」

 ↓

「終わってるけど、それでも日本の一員として、出来ることはやっていこう」

 

それも、幸福観を受けての変化ではある。どうしても色々な人の顔がちらつく。

江戸時代を学んでいくと、日本の力みたいなものを感じられて、その力は今の終わってるように思える現代日本にも通じるものがある。

もう少し希望を持ってもいいのかなと思ったりもしてる。

で現実の社会に目を向けると政治家の裏金問題で盛り上がっていて、また「もういいや好きにしてくれ」と思うのだけど。

色々と根が深すぎるんだよな。以上。

 

動画版

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