「守りが固い(疑り深い)のはなぜですか?」

うーん、なんでなんでしょうね……。

なんでだろうなあとぼんやり考えてる間に数日が過ぎて、回答が遅くなっちゃいました。

明確な回答はできないものの、雑談的に色々と書きますね。

確かにおっしゃる通り、今の僕は世の中の色々な物事に対して、最初のアプローチが「本当にそうなのか?」という疑いの目を向ける事です。そこから始まります。何事に対しても。

「誰かが何かの利益のために誘導しているのではないか?」とか、「その物事の前提には何があり、その前提はこの場合でも成立しているのか?」みたいな事が自動的に気になります。前提を疑うことを意識している感覚はないです。

少なくとも学生時代、そして新卒で就職して会社員になった頃まではこんな人間ではなかったです。世の中に対して適応できず生き辛さを感じてはいたものの、可能な範囲でのワガママを行使しながら、辛うじて社会のレールに沿って生きてました。

たとえば学校教育に対しては「なんて非効率なのだろう」とか「こんなのただの暗記ゲームじゃん」みたいには当時から思っていたものの、そう思うだけでした、昔は。

一方で今は、日本人から愛国心、伝統、文化を失わせ、かつ従順な労働者にするための意図的な教育だと思ってます。そうすれば日本を叩きのめしたアメリカの資本家に都合が良いので、意図的にそういう教育システムにしたんだと勝手に邪推してます。

会社員という働き方についても、昔は「庶民としてはそれが現実的な働き方」程度に割り切ってましたけど、今は「そういう考え方って資本主義社会に洗脳されてたからだな。他人に使われて週5日間も働くなんてゼロベースで考えると非人道的だ」ぐらいに思ってます。

何か決定的な出来事があり、それがキッカケに考え方が変化した実感はないです。2020年の某ウイルス騒動の段階では既に「資本主義社会って、金を持ってる人間が権力も持ってて、その利権構造の中で動いてるだけじゃん。ニュースで言ってる綺麗事ってほぼ嘘じゃん。そもそもメディアが利権持ってる人間の物じゃん」という世界観で生きており、ウイルス、検査、注射の3点セットの茶番劇は冷ややかに見てました。

  • 検査で陽性=感染 ではないのに感染者として扱うメディア
  • いかなる死因であっても陽性であればウイルス死として扱う
  • 冷静に数字を見て把握できる危険度に対して、通常の治験もパスしてなくて本物の専門家は警鐘を鳴らしてもいる新型ワクチンを打つのは、どう客観的に見てもリスクがリターンと見合わない。しかし強引に打つ流れにメディアが先導

もう、僕の濁った世界観の中では、製薬業界の利権がクッキリと浮かんできます。

決定的な出来事があったわけではないけれど、人生をやっていく中で世の中の理不尽を色々と経験していくにつれ、内省気質の高い僕の脳みそが「あれ、世の中ってひどくない?やばくない?」という感触を持ち始め、それが内省の中でじっくりコトコト醸成されていった結果が今です多分。元からひん曲がり気味だった性格に拍車が掛かりました。

真っ当に今の世の中で生きているのであろう札幌市民の方から「すずひらさんらしい発信をしてほしい」旨の要望をごく少数ながら頂きますが、これがすずひらさんなんです、すみません……。発信活動を始めた当初から。

人間とは複雑な生き物なので、どの進入角度からスポットライトを当てるかによって見え方がガラリと変わります。今のすずひらは、自分の思想をそのままアウトプットしている結果です。

 

以上です。

ご質問の「守りが固い(疑り深い)のはなぜですか?」に対する回答をまとめますと、「元からひん曲がっていてそこそこ疑り深かった人間が、権力構造で構築された欺瞞に満ちた世の中で生きていく中で、ますますひん曲がった結果です」というところです。

ご質問ありがとうございました。

ご質問をキッカケに僕の中でも振り返りになりました。感謝しております。またお気軽にご質問ください。

 

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