ケインズ『我が孫たちの経済的可能性』は社会レベルではまだ先だけど、個人レベルでは既に実現している

ケインズが1930年に書いた有名な『我が孫たちの経済的可能性』を改めて読んでみた。

「予測を外してるじゃないか」という言われ方をするこの論文だけど、僕は100年では無理なだけで方向性としては完全に当たってると思う。

【要約】
・人間は資本の蓄積効果により生産性を急激に高めている。

・この調子でいけば、人口爆発や戦争が起きない限り、100年後の人間は生きるための労働から解放される。

・自由と暇に耐えられないという問題が起きるだろうけど、わずかに残った仕事を1日3時間程度で分け合って働けばいい。1日3時間も働けば「何かしないといけない」長年の刷り込みからくる虚無も避けられるだろう。

・資本を蓄積して金を稼ぐことを人生における最大の美徳とするインチキ道徳が、社会発展のために方便としてまかり通っているけど、これ以上の社会発展の効果が薄れていくにつれ化けの皮がはがされ、金は手段であるという本来の姿で再評価されていく。

・人間本来の確固たる美徳に戻っていく。つまり手段より目的、便利なものより善良なものを大切にしながら、今を充実して生きることが美徳となる。

以上、要約終わり
(解釈間違いあるかも)

 

ケインズの想像を超えて人々が手段と便利に執着して金に貪欲だったので1日3時間労働は社会全体としては実現していないけど、実は個人でやろうと思えばできる状態までは現代日本では進んできていて、僕含め個人でやってる人もいる。

今からもう30年後にはインチキ道徳の化けの皮が社会全体のレベルではがれるといいなあ。
その社会を死ぬ前に見届けたい。