クリスマスなんて1人で過ごすに決まってるじゃないですか

今日は2022年12月25日、クリスマス。昨日はクリスマスイブ。

昨日は朝から1人で札幌の街に繰り出して、日没までホワイトクリスマスを堪能した。そして帰宅してからは、1人でクリスマスパーティーを開催した。終日に渡り大変な盛り上がりを見せており、主催者および主賓として「いいクリスマスイブだったなぁ……」という感慨に耽っている。

さて、今日はどうしよう。クリスマスに関する知識レベルが2の僕でも一応、クリスマスなるイベントは25日が本番であるということぐらい知っている。24日は前座みたいなものだ(違ったらすみません)。

これは別に孤独非モテ独身アラフォーこじらせ男性(性格に難あり)の嫉妬でもなんでもないのだけど、クリスマスというイベント自体には取り立てて関心がない。強がりではなくて、本当にそう。念押しするほど強がってる空気が出てしまうのが悔しいのだけど、本当にそうなんだ。

というか良い年した大人の男が「わーい、クリスマスだ、楽しみだなあ」なんて子供みたいに思ってるわけがない。どうでもいいよ別に。結局はマーケティングじゃん。非キリスト教国家の日本におけるクリスマスなんて、大衆に金を使わせるための商業イベントでしかない。

僕はまだ物心がついたばかりの幼少の頃から「寝てる間に枕元にプレゼントが置かれてるんだとしたら、それが出来るのは物理的に親しかいない。つまりサンタは親」と論理的思考によりサンタの正体を見破っていた。サンタの正体を見破る時期の早さに関しては、僕の今までの人生における数少ない「人に誇れること」である。「ふふ、僕って賢いでしょ」という優越感に浸れる過去の成功体験がこれしかない。というのは作り話で、今てきとーにキーを叩きながら口から出まかせを書いただけなのだけど。確か10歳ぐらいまでは普通にサンタを信じていた。

 

まあつまり僕が何を言いたいかというと、「クリスマスなんて別にどうでもいいけど、いつもより財布の紐を緩めて楽しむ口実になるんだから便乗しとけw」ということ。これを言いたかった。

 

ということで昨日のイブは、いつもより更に美しい札幌の冬の街並みをたっぷりと堪能してきた。

 

帰宅後は1人で家でホワイトシチューを作って食べながら、好きなゲーム実況者(幕末志士)のクリスマス生配信を観て爆笑しまくっていた。

 

というのが24日の過ごし方。

そして本日25日は、ケーキ屋でケーキを買ってきて食べようと思う。ケーキ屋で売ってるような1つ400円ぐらいするケーキなんて、普段は絶対に食べることがない。「マクドナルドのコーヒー4杯分か。コスパ悪すぎ。無理」と判断してまず買わない。

でもそこでクリスマスを口実にすることで、ケーキ屋のケーキを食べることができる。

温かなコーヒーを淹れて、それをお供にケーキを食べる。飲み食いしながら今日は映画でも観ようかと思う。昨日のシチューの残りもたくさんある。カレーと同じくシチューは1日寝かせたほうが美味い。

 

「1人でクリスマスを過ごすなんて、寂しいんですね……w」という世間からの声に先回りして答えると、寂しいよそりゃ。寂しくないわけがない。僕だって一応は人並みの心は持っているのだから。24日に札幌の街で大量のカップルやファミリーと遭遇してきて、1人でいるのが大好きな僕の心にも若干来るものがあった。

でもね、人生はトレードオフなんだ。時おり寂しさを感じることはある一方で、僕は独り身の自由を謳歌している。自分の気ままな感情に任せて縁もゆかりもない札幌へ誰にも何も言わず好き勝手に移住したり、誰にも何も言わず好き勝手に会社を辞めたり。そして世間の基準と照らしたらほぼ無職みたいな量の仕事しかせず、自分1人が食える分だけ稼いだら後の時間はただ好き勝手に遊んでいる。

社会的に見たら、ダメな大人の見本だろう。だがそれがどうした。僕は人間社会の一員であるまえに、1つの独立した生命体なんだ。だからまずは、僕に与えられたこの1つのちっぽけな生命体をまずは喜ばせてあげることが最優先。

みたいな、何かそれっぽいことを言ってるようで実はあまり考えてなくてその場のノリでテキトーなことばかり言ってる間に37歳にして独身で寂しいなあって思う人生になってました。おわり。