「社会人」という言葉に異を唱えたい

「社会人」という言葉があるけど、ワシはこの言葉に対してすごく違和感がある。

率直に言うと嫌いだし、世の中的にも、この言葉は無くしたほうが幸せになれる人が多いんじゃないかと思ってる。

 

そもそも「社会人」とは誰のことを指しているのか定義は不明ながら、おおよそのイメージで言うと「学校を出て働いている人」的な意味だとは思われる。

細かな異論はあるかもしれないけど、おおよそのイメージとしては同意できる意味だと思う。

でも本来の「社会人」って、社会に所属して生きてる人という意味になるはず。だって、そういう言葉なんだから。特殊な単語ではなく一般的な単語でしかないのだから、文字通りの意味でしかない。

なぜわざわざ「学校を出て仕事してる人」だけを指して社会人と呼ぶのか疑問だ……

いや本当は疑問ではない。つまり「学校を出て仕事をすることこそが、社会で生きる人間としての正しい姿」という思想があるからだ。そういう思想がない限り「社会人」というごく一般的な言葉を「学校を出て仕事している人」を限定して指す使い方をする発想にならない。

 

学校を出ることを「社会に出る」と言ったりもするけど、これも似たような話だ。「社会とは、学校を出て働いてる人たちだけで構成される場所」という前提を無意識に置いているからそういう言い回しになる。

本来の社会という意味では、学生だって社会に所属しているのだから社会になんかとっくに出てるのに。だから別に「社会に出るぞ」みたいに気負う必要なんかないのに。

 

「社会人学生」なんて言葉もあるけど、もはや何を言ってるのかわからない。学校を出て仕事をしているから社会人だけど、でも同時に学生もやってる人のことを指しているのはわかる。わかるけど、そんな言い回しをしてまで「社会人」を特別視したい気持ちはわからない。

 

僕みたいにいちいち「なんだよ社会人ってw本来の意味と違うじゃんww」みたいにツッコミたくなるひねくれた人間ならともかく、世の多くの人はそんなこといちいち考えない。言われた言葉を素直に受け取るだろう。

だから世間で使われてる通りの意味で「社会人」という言葉を理解して、結果、無意識に「仕事をすることこそが社会に生きる人間として正しい生き方」と深層心理に刷り込まれていく。

本当はもっと色々な選択肢があるのに。

そもそも一生暮らせる金があるなら働く必要が別にない。しばらく無職でモラトリアムを満喫するのも1つの選択だ。仕事する→無職になる→金が尽きてまた仕事→金が貯まったので無職 みたいなこともアリ。個人の自由。

本当は多くの選択肢があり、各自が自由に、自分にとって生きやすい生き方で生きればいいだけなのに、「学校を出たら働くことこそ社会人。それが正しい姿」という無意識への刷り込みがあるから、せっかくの選択肢に気付けず息苦しい生き方を自ら選んでしまう。

多様性が大事というのなら、この「社会人」という言葉もそろそろ死語にすべき。世の中から多様性を奪ってる言葉だから。

 

あと、「社会人」という言葉は社会を特別視する作用もあると思ってる。

本来は社会なんて今ここであなたが生きてる場所そのものだし、それ以上でも以下でもない。特別な場所でもなんでもない。生まれた瞬間から社会に属してる。

でもわざわざ「学校を出て社会に出る」「社会人になる」「自分は社会人になった」みたいな思考を無意識にしていくと「社会は特別な場所だから、理不尽にも耐えなければいけない」「苦しいのが当たり前。それに耐えることこそ社会人」「社会人だから満員電車も受け入れなければいけない。周りの社会人もみんな耐えてる」みたいな我慢するのが当たり前な世界が出来上がる。

 

みんなが「社会は特別。理不尽や辛いことにも我慢すべき場所」と思っているから、本当に社会がそうなってしまう。相互に監視して、理不尽に反論する奴は「社会人失格」の烙印を押される。

いわゆる"自己実現的予言"というやつ。みんながそう思って行動した結果、本当にそうなってしまう。

「あの銀行が危ないらしいぞ」という事実とは異なる噂が流れた結果、皆が一斉に預金を引き出し、結果、本当に銀行が危なくなるとか。

「こんなことやっても無駄だよ。どうせ失敗する」と思いながら投げやりに何かをやった結果、投げやりにやってるから本当に失敗して「ほらやっぱり失敗した」みたいなパターンとか。

 

別に個人の自由だから、「社会人だから理不尽に耐えるべき。満員電車にも耐えるべき」という価値観を否定する気持ちは全然ない。その価値観を自分の中で完結し、他の人にも強制しない限り、言いたいことは特にない。

ただ「社会人」という言葉を無意識に深層心理にインストールした結果、無意識に「社会は特別。社会人は我慢すべき。働くことが正しい」と思っている人がいたとしたら、一度立ち止まって生活を見直してみてもいいんじゃないかとは思う。

 

ちなみに、今の日本で言うところの「社会人」の意味と対応する英語はないらしい。そりゃそうだ。いかにも日本的な発想だもん。

労働を善とする日本的な美徳なのかもしれないけど、それにしたって「社会人」なんていう本来はすごく広くて一般的な言葉を「働いてる人」的な意味に当てはめるのはやりすぎだと思う。

子供も学生も無職も年金暮らしのお年寄りも皆社会人だよ。そういう立場の人たちが変に社会を特別視したり、負い目を感じたりする言葉の使い方には異を唱えたい。以上です。